100年前の融合 - 喧騒と癒し, クラシックとジャズ, パリとニューヨーク
ジョージ ガーシュウィンのSPレコード
巴里のアメリカ人 An American in Paris …ガーシュウィン
第一次大戦から第二次大戦が始まるまでの期間1920年から1940年。米国では “狂騒の20年代 Roaring twenties”、欧州では “狂乱の時代 Les Année folles”と呼ばれる時代です。
この間、暗黒の火曜日として知られる経済的な活況からドン底の不況への転換。禁酒法によるマフィアの暗躍から禁酒法の撤廃。アールヌーヴォーからアールデコへの芸術の移行。そして、クラシック音楽からジャズ音楽の隆盛が起きました。
その中心にいたのがジョージ ガーシュウィンと言えるでしょう。
ガーシュウィンが作曲する交響曲や協奏曲は、伝統的なクラシックの様式を保ちながら、時代を映す新しい感性に溢れています。100年を経た現在でも、オーケストラの演奏で新鮮な感覚を与えてくれる要因です。
ガーシュウィンが “巴里のアメリカ人 An American in Paris“を作曲したのは1928年。1928年12月13日には、ニューヨークのカーネギーホールで初めてニューヨークフィルによって演奏されました。
パリを訪れたアメリカ人。それはガーシュウィン本人。
パリの街並みを軽快に散歩するものの、カフェで落ち着いているうちにこみ上げてくる寂しさ。どこかホームシックになりかけた時に聴こえてきたのは、タクシーのクラクションや、人々が行き交う石畳の足音。次第にニューヨークの喧騒を思い出して元気を取り戻します。
巴里のアメリカ人 An American in Paris
オーケストラでは珍しいサクソフォンやチェレスタが使われています。
チェレスタは、ピアノと同じ鍵盤楽器ですが、ピアノと違ってハンマーが弦を叩くのではなく鉄琴を叩くので、鉄琴のような音色が響きます。妖精や魔法使いの世界に誘うような幻想的な雰囲気です。
1929年2月4日に録音された蓄音機レコードでは、なんとこのチェレスタをガーシュウィン本人が弾いています。レコーディングの時に様子を見に来ていたガーシュウィンに、急遽、指揮者のナサニエル シルクレットがお願いしたという逸話があります。
パリに滞在してホームシックになっているガーシュウィン。するとホーンが鳴り響き、ガーシュウィン本人が奏でるチェレスタの鉄琴のような音色がリズムを刻み始めます。ニューヨークを思い出させる、そんな街のリズムに次第に元気になって笑顔を見せ始めるガーシュウィン。
そんな情景を思い浮かべながら、当時の振動をゼンマイの音から感じてください。
経緯
- 1897.4.19 ケイ スィフト Kay Swift (本名 Katherine Swift)がニューヨークで生まれる
- 1898.9.26 ジョージ ガーシュウィンがニューヨークで生まれる
- 1918 スィフト: ジェームス (ポール) ワルブルクと結婚。クリスチャンのジェームス親族はプロテスタントとの結婚に確執
- 1920.1.16 米国で禁酒法 (憲法修正第18条)を施行
- 1924 ガーシュウィン: “ラプソディ イン ブルー”を作曲
- 1925.4 ガーシュウィンとスィフトがワルブルク家のパーティで出会う
- 1925.12.3 カーネギーホールで “ピアノ協奏曲 ヘ長調 Concerto in F”を初演
- 1926.4 ガーシュウィン: パリ滞在から帰国。ケイとの親密な関係が始まる。
- 1926.11.8 ガーシュウィン: ミュージカル “Oh, Kay!”を作曲。ケイ スィフトがヒロインのモデル。ブロードウェイの帝国劇場で初演。
- 1927 ケイ: 音楽活動を再開。夫のジェームス ポールが作詞等で支援
- 1928 ガーシュウィン: “巴里のアメリカ人 An American in Paris“を作曲
- 1928.12.13 カーネギーホールで “巴里のアメリカ人 An American in Paris“を初演
- 1929.2.4 ビクターが “巴里のアメリカ人 An American in Paris“を初めて録音。ガーシュウィンがチェレスタをソロ演奏
- 1929.10.29 暗黒の火曜日。ウォール街の株価が大暴落
- 1930.9.23 ケイ: ミュージカル “Fine and Dandy”を作曲 (作詞 ジェームス ポール)。ブロードウェイで初演
- 1932 ガーシュウィン: ピアノ独奏曲 18曲を “歌の本 Song book”として出版。ケイ スィフトに謹呈
- 1933.2.20 禁酒法 (アメリカ合衆国憲法修正第18条)の撤廃
- 1934 ケイ: ジェームスと離婚。ガーシュウィンとパートナー関係。ガーシュウィンの母はユダヤ系以外との結婚を認めず。
- 1937.2.11 ガーシュウィン: コンサートで “ピアノ協奏曲 ヘ長調 Concerto in F”を演奏中に疾患が原因で気絶
- 1937.2.27 ガーシュウィン: “Let's Call the Whole Thing Off”を作曲し出版。ミュージカル “Shall we dance”の挿入曲
- 1937.3.3 “Let's Call the Whole Thing Off”を録音 (ブランスウィック Brunswick社)
- 1937.5.7 ガーシュウィン: ミュージカル “Shall we dance”を作曲し初演。フレッド アステア主演
- 1937.7.9 ガーシュウィン: “華麗なるミュージック The Goldwyn Follies”を作曲中に昏睡状態に。脳腫瘍が判明。最期に残した言葉は “フレッド アステア Fred Astaire”
- 1937.7.11 ジョージ ガーシュウィンがロスアンゼルスで逝去
- 1937.9.16 ガーシュウィン作曲 “霧の日 A foggy day”を出版。ミュージカル “踊る騎士 A damsel in distress”の挿入曲
- 1937.10.17 “霧の日 A foggy day”を録音 (ブランスウィック Brunswick社)
- 1937.11.19 ミュージカル “踊る騎士 A damsel in distress”が初演。フレッド アステア主演
- 1951.10.4 映画 “巴里のアメリカ人 An American in Paris“がニューヨークで初公開。ジーン ケリー主演
- 1993.1.28 ケイ スィフトが米国のサジントンで逝去


