120年前の笑話 – オペラ “道化師 Der Bajazzo” 若きスレザークの想い出 オーディションでの大失態
レオ スレザークのSPレコード
レオンカバッロのオペラ “Der Bajazzo (Pagliacci) 道化師”
1896年のデビュー以来、数多くのオペラに出演し、幅広い演目を務めたレオ スレザーク。
1901年にはウィーン国立歌劇場と契約します。当初はドイツ語での演目を専門として出演しました。しかし、その後にイタリア語とフランス語での専門教育を受け、1909年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場と契約。遂に本格的な国際デビューを果たします。
ユーモアのセンスに長けたスレザークは、俳優としても喜劇映画に数多く出演して成功を収めます。さらに、スレザークが経験したエピソードを面白おかしく執筆した書籍も話題となり、作家としての才能も発揮しました。
その中でも、ワーグナーが創設した世界的に有名なバイロイト音楽祭のオーディションを受けた際のエピソードは秀逸です。
1899年に執り行われたワーグナーのオペラ “Das Rheingold ラインの黄金”のテナー歌手を募集したオーディションでのことです。事もあろうにスレザークは、主催者のワーグナー夫人に対して、オペラ “Das Rheingold”と、ワーグナーとは縁もゆかりもないレオンカバッロのオペラ ”Der Bajazzo 道化師”を取り違えてしまったというのです。
それが原因かは分かりませんが、結局スレザークは、一生涯バイロイト音楽祭で唄うことはなかったそうです。
“Der Bajazzo 道化師”は、ユーモアに溢れたスレザークが得意とした演目でした。道化師に降りかかる愛憎と悲劇。そんな背景が、ついスレザークの口を滑らしてしまったのかも知れません。
そんな因縁の演目を蓄音機レコード (SPレコード)に録音したのは、1912年。円熟したレオ スレザーク。全盛期の歌声です。
道化師 第一幕から “さぁ、演じてみよ!” Der Bajazzo (Pagliacci), Act 1 “Jetzt spielen”
愛する妻の浮気を知り、ナイフを振りかざして相手の名前を問いただす道化師のカニオ。芝居の開演が迫っていることを告げられ、抑えきれない感情を吐露する場面です。第一幕はこのカニオが歌う嘆きの歌曲で閉じるのです。
そして第二幕。動揺し、平静を保てないままに始まる芝居の場面。
カニオが演じる道化師。そして、妻で女優のネッダが演じる道化師の妻。全く同じ舞台設定に、交錯する芝居と現実。そんな事とは知らずに、錯乱した道化師カニオの迫真の演技に歓喜する観客。
そんな狂気の状況で、我を忘れたカニオは遂に…
そんな道化師カニオの苦しみを、ゼンマイの音から当時の振動で感じて下さい。オリジナルの和訳を添えてお届けします。
オリジナルの和訳 ... modern ver.
さぁ 演じてみよ! 狂気の沙汰だ!
もはや 分からぬ
何を話し 何をすべきか!
だが 受け入れねばならぬ
ぶふぁ お前は 男ではない
道化師なのだ!
単なる ぼろきれを まとった
観客は 金を払い 笑いに来る
例え 道化師 ハーレキンが
お前の大切なもの(*)を 盗んでも
笑うのだ 道化師
それで 拍手喝采!
笑いに 変えてみよ!
痛みを 涙を 苦しみを
笑ってみせよ 道化師
打ち砕かれた 愛さえも!
笑ってみせよ 苦痛さえも!
例え その心を 毒しても
* 歌詞ではオダマキの花 (道化師の娘)
オリジナルの和訳 ... Slezak's
さぁ 演じてみよ 狂気の沙汰だ
もはや 口籠ることも
はっきりと 見ることも ままならず
そうであっても やらねばならぬ
それが 定めなのだ
ぶはぁ お前は 人間なのか
単なる 道化師なのだ
ぼろきれをまとい 表情を繕い
お金を貰い そのために 笑わせる
単なる ハンスヴルスト(※1)
大切なもの(※2)を 奪われた
誰もが 叫ぶだろう
道化師よ 世の習いを 知り給え
舞台では 覆い隠す 沢山の涙
折れ曲がった 希望
致命傷を負った 心
それでも笑え 道化師よ
しかめ面など 切り刻め
感情など 知る由もない
単なる おどけた
オモチャなのだから
※1 笑い者のこと(腸詰めハンス)
※2 歌詞はオダマキの花(道化師の娘など)
経緯
- 1813.5.22 リヒャルト ワーグナーがドイツのライプツィヒで生まれる
- 1836.11.24 ワーグナーが女優のミンナ プラネルとケーニヒスベルク (現ロシアのカリーニングラード)で結婚
- 1837.5 ミンナが恋人と駆け落ち。後に復縁
- 1837.12.24 コジマがイタリアのコモ湖沿いの街ベラッジオでフランツ リストの嫡出子として生まれる (1840年に認知によりコジマ リストに)
- 1850.8.28 リヒャルト ワーグナーのオペラ “ローエングリン Lohengrin”の初演 (ドイツのヴァイマール宮廷劇場)
- 1857.4.23 ルッジェーロ レオンカバッロがナポリで生まれる
- 1864 ルードヴィヒII世がバイエルン国王に就任。ワーグナーの負債を支援
- 1865.4.10 ワーグナーがビュロー夫人のコジマとの間に長女イゾルデを授かる
- 1866.1.25 ミンナがドレスデンで逝去
- 1869.9.22 ワーグナーのオペラ “Der Rheingold ラインの黄金”をミュンヘン宮廷歌劇場で初演
- 1870.7.18 コジマ フォン ビュローが夫と離婚
- 1870.8.25 ワーグナーがルツェルンでコジマと再婚
- 1873.8.18 レオ スレザークがチェコのシュムペルク (オーストリア=ハンガリー帝国時代)で生まれる
- 1874.4.25 エルサ ベルトハイムがウィーンで生まれる
- 1876.8.13-8.30 リヒャルト ワーグナーがバイロイト祝祭劇場を建設。第一回バイロイト音楽祭を開催
- 1883.2.13 リヒャルト ワーグナーがベニスで逝去。妻のコジマが引継ぎバイロイト音楽祭を主催
- 1892.5.21 レオンカバッロのオペラ “Pagliacci 道化師”がミラノのダル ヴェルメ劇場で初演
- 1896.4.19 スレザーク: チェコのブルノで舞台デビュー (“ローエングリン Lohengrin”)
- 1899 スレザークがバイロイト音楽祭のオーディションで大失態。主催者のワーグナー夫人に披露する曲について、ワーグナーのオペラ “Das Rheingold ラインの黄金”と“Der Bajazzo 道化師”を間違える。
- 1900 スレザーク: ロンドンの王立歌劇場とコベントガーデンで国際デビュー (ジークフリード役)
- 1900.2.15 スレザークが女優のエルサ ベルトハイムと結婚
- 1901.9 スレザーク: ウィーン国立歌劇場の常任メンバー
- 1907 パリでジャン デ レスケからイタリア語とフランス語でのオペラ教育を受講
- 1909 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場と3年契約 (ベルディのオペラ “オテロ”等)
- 1912.9 スレザークがベルリンで、マノン Manonから “消え去れ、甘い面影よ Ah! Fuyez, douce image”、及び道化師 Der Bajazzoから “Jetzt spielen ! さぁ演じてみよ! ”をベルリンで録音
- 1919.8.9 ルッジェーロ レオンカバッロがイタリアのモンテカティーニで逝去
- 1930.4.1 コジマ ワーグナーがドイツのヴァーンフリートで逝去
- 1932 スレザーク: ドイツ映画にデビュー (“パーク通りのスキャンダル Skandal in der Parkstraße”)
- 1934 スレザーク: ドイツ映画を主演 (“Musik im Blut 音楽の血統”)
- 1944.5.27 エルサ スレザークがドイツ バイエルンの街ロットアッハ=エーガンで逝去
- 1946.6.1 レオ スレザークがドイツ バイエルンの街ロットアッハ=エーガンで逝去
レオ スレザークのSPレコード ...蓄音機でもっと
- さぁ、演じてみよ ! Jetzt spielen (Recitar) ! - 道化師 Der Bajazzo (Pagliacci)
- 消え失せよ! 愛くるしい面影 O flieh holdes Bild (Ah! Fuyez, douce image) - マノン Manon


