100年前の魂の嘆き - "暗い墓の中で" ベートーベン作曲 魂を揺さぶる歌声はシャリアピン
シャリアピンのSPレコード
この暗い墓の中で ... 作曲 ベートーベン
1808年、ジュゼッペ カルパーニの “この暗い墓の中で In questa tomba oscura”という短い詩が、数多くの作曲者が手掛けた63種類ものピアノ曲集として編纂されました。その作曲者のうちのひとりがベートーベンです。
この歌曲集が謹呈されたのは、ベートーベンの支援者だったチェコとオーストリア貴族のロプコビッツ侯爵です。
このカルパーニの詩は、とてもシンプルで短い詩ですが、編纂された経緯と時代背景を考えると深い意味があるように思えて仕方ありません。
この時代、カルパーニの故郷がある北イタリアとウィーンは、相次いでフランスが引き起こしたナポレオン戦争に巻き込まれていきます。
ナポレオンの北イタリア侵攻によりカルパーニがウィーンへ追われたのが1796年。そしてナポレオンが皇帝を戴冠し、独裁的な地位を確定した1804年から4年後に “この暗い墓の中で”の歌曲集が編纂されました。その僅か1年後の1809年、カルパーニとロプコビッツ侯爵の住むウィーンはナポレオンに占領されるのです。
果たして、何に絶望し、安らぎを求め、毒牙と呼んだのでしょうか。カルパーニとロプコビッツ侯爵の無言の声が響きます。
そして1921年。実に113年の時を経て録音されたのが、このSPレコードです。
歌うのはフョードル シャリアピン。1917年のロシア革命により反体制の疑いをかけられて不遇にも故国を追われたシャリアピン。その歌声を録音したのは、フィンランドに亡命した1921年のことでした。故国を追われた年に録音したこの曲に、シャリアピンはどんな想いを込めたのでしょう。
ゼンマイの音から当時の振動を感じてください。
歌詞
作詩 ジュゼッペ カルパーニ Giuseppe Carpani イタリア 作曲 ルードウィヒ ファン ベートーヴェン Ludwig van Beethoven ドイツ In questa tomba oscura Lasciami riposar Quando vivevo,ingrata Dovevi a me pensar Dovevi a me pensar Lascia che l'ombre ignude Godansi pace almen E non,e non bagnar mie ceneri D'inutile velen D'inutile velen In questa tomba oscura Lasciami riposar Quando vivevo,ingrata Dovevi a me pensa Dovevi a me pensa,ingrata
オリジナルの和訳
この暗い 墓の中で 休ませて おくれ 生きていた時の 無礼な振舞い 気遣いを くれていたなら 気遣いを くれていたなら さらし者の 影ぼうしに せめてもの 安らぎを 決して 決して 湿らせるな この亡きがらを 無用の毒で この亡きがらを 無用の毒で この暗い 墓の中で 休ませて おくれ 生きていた時の 無礼な振舞い 気遣いを くれていたなら 気遣いを くれていたなら 無礼な振舞いに
経緯
- 1751.12.28 ジュゼッペ カルパーニがイタリアのビラルベーゼ (現在のアルバビラ)で生まれる
- 1770.12.16 ルードウィヒ ファン ベートーベンがドイツのボンで生まれる
- 1772.12.8 ジョセフ フランツ マクシミリアン (第7代ボヘミア王国の侯爵)がウィーンで生まれる
- 1789.7.14-1795.8.22 フランス革命
- 1792.11 ベートーベンがウィーンへ
- 1794 ベートーベンの生誕地ボンがフランス支配に
- 1796-1797 ナポレオンが北イタリアをオーストリアの占領から解放。反フランス作品を書いていたカルパーニはウィーンに逃亡
- 1799.11.9 ナポレオンが統領政府を樹立
- 1804 ベートーベンの交響曲第3番 “英雄”をロプコビッツ侯爵に謹呈。私設楽団が公表前にロプコビッツ宮殿で演奏
- 1804.12.2 ナポレオンが皇帝を戴冠し独裁政権に
- 1807 ベートーベンがカルパーニの詩 “この暗い墓の中で In questa tomba oscura”に作曲
- 1808 カルパーニの詩 “この暗い墓の中で In questa tomba oscura”に作曲した63のピアノ曲をロプコビッツ侯爵に謹呈 (ベートーベンの曲を含む)
- 1809.5.13 ナポレオンがウィーン占領
- 1814.4.14 ナポレオンが失脚
- 1816.12.16 ロプコビッツ侯爵が北ボヘミアのトジェボニ (現在のチェコ)で逝去
- 1825.1.22 ジュゼッペ カルパーニがウィーンで逝去
- 1827.3.26 ルードウィヒ ファン ベートーベンがウィーンで逝去
- 1873.2.13 フョードル シャリアピンが露カザンで生まれる
- 1894 シャリアピンがサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場に所属
- 1917 ロシア革命
- 1921 反体制の疑いをかけられて亡命
- 1921.10.10 シャリアピンが “のみの歌 Mephistopheles’ song of the flea”を英国で録音
- 1921.10.12 シャリアピンが “この暗い墓の中で In questa tomba oscura”を英国で録音
- 1938.4.12 フョードル シャリアピンがパリで逝去
- 1955 ゲオルグ キンスキーとハンス ハルムがベートーベンの作品目録 WoO 133 (Werke ohne Opuszahl)を編集 (“この暗い墓の中で In questa tomba oscura”を含む)
- 1999 シャリアピンが歌う”のみの歌”がグラミー賞の殿堂入り

