77年前の幕開 -  スカラ座デビュー直後の若き響き プッチーニのオペラ “トスカ”

ジュゼッペ ディ ステファノのSPレコード

プッチーニのオペラ “トスカ Tosca”

1921年7月24日、シチリア島で生まれたジュゼッペ ディ ステファノ。イタリアの国民的スターテナーのエンリコ カルーソがナポリでこの世を去ったのは、その僅か1週間後のことでした。

6歳でミラノに移り住んだディ ステファノは10代から歌唱の才能を発揮します。しかし、本格的にオペラの教育を受け始めた1940年、イタリアは欧州全体を巻き込んだ第二次世界大戦へと突き進み、ディ ステファノも例外ではなく、1941年に軍へ入隊したのです。

そしてイタリアが降伏し、ドイツ軍がイタリアを占領した1943年。イタリア本土が戦場になると、ミラノを離れスイスに逃亡せざるを得ませんでした。

ディ ステファノがオペラで活躍し始めたのは、戦争が終結し再びイタリアに帰国した1945年。ディ ステファノ 24歳の時でした。

それから僅か2年を経た1947年。遂にミラノのスカラ座でデビューし、翌年の1948年には27歳の若さでニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビューします。

チレアとプッチーニのオペラ (アルルの女 第2幕から ”フェデリコの嘆き-ありふれた羊飼いの話”; トスカ 第3幕から “星は光りぬ”)を録音したのは、1948年2月。1949年に結婚も果たしたディ ステファノが、遂に世界的テナーとしての絶頂へと昇り始めます。

この蓄音機レコードを録音した時代は、紛れもなくイタリアが生んだ ”金色の美声 la voce d’oro”と称される名声を獲得し始めた時期に重なります。その響きをゼンマイの音から生の振動で感じてください。

トスカ 第3幕から “星は光りぬ” E lucevan le stelle … 蓄音機のレコードで

1953年8月。ジュゼッペ ディ ステファノは、マリア カラス等とプッチーニのオペラ “トスカ Tosca”のレコードを発売しました。この録音は、現在に至ってもオペラ至上最高と称されます。

この時のレコードは、塩ビ製のLPレコード。シェラックという天然樹脂で出来た蓄音機レコードに代わり、1951年3月23日に初めて登場したレコードです。

このようにディ ステファノが活躍した時代は、塩ビ製レコードへの変遷と共にありました。

HMV社でトスカ “星は光りぬ E lucevan le stelle”の蓄音機レコードを録音したのは、1947年12月6日。ディ ステファノが26歳の若さでミラノのスカラ座でデビューし、才能が世の中に認められた時期です。

そして、このレコードを録音した2か月後の1948年2月。遂にニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビューし、イタリアが生んだ ”金色の美声 la voce d’oro”と称される名声を獲得していきます。

その振動を身近に感じてもらいたいから、オリジナルで訳してみました。

オリジナルの和訳

星は光りぬ 大地は薫りぬ
軋む庭の戸 砂を踏む音
彼女は来たりぬ そして香りぬ
その両腕に くずれ落ちて

甘いキス 儚い抱擁
ベールの下の美しい姿 震える手で解き放つ
夢は幻 消え去りぬ
ついに時は来た 絶望に死す
これほどまでに 命が愛おしいとは

経緯

  • 1858.12.22 ジャコモ プッチーニ: 伊トスカーナ地方のルッカで生まれる
    • 1866.7.23 フランチェスコ チレア: 伊パルミで生まれる
    • 1897.11.27 チレア: ミラノのリリコ劇場で “アルルの女”の初演 (テノール: エンリコ カルーソ)
    • 1900.1.14. プッチーニ: ローマのコンスタンツィ劇場で “トスカ”の初演 (テノール: エミーリオ デ マルキ)
    • 1909.11.06 カルーソ: トスカ “星は光りぬ” “妙なる調和”を録音
    • 1920.10.21 カルーソ: ブルックリン アカデミー オブ ミュージックで公演中に喀血し公演中止
    • 1920.12.24 カルーソ: ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で最後の登壇
  • 1921.7.24 ジュゼッペ ディ ステファノがイタリア シチリア島の街 モッタ サンタナスタージアで生まれる
    • 1921.8.2 エンリコ カルーソ: ナポリで逝去
    • 1923.12.2 マリア カラスがニューヨークで生まれる
    • 1924.11.29 ジャコモ プッチーニ: ベルギーで逝去
    • 1926 プッチーニ: “トゥーランドット”の初演 (テノール: ミゲル フレータ)
  • 1939.9.1 第二次世界大戦が勃発
  • 1941 ディ ステファノ: イタリア軍に徴兵
  • 1943.9.3 イタリア軍の降伏後にドイツ軍がイタリアを侵略
  • 1943 ディ ステファノ: スイスに逃亡。各地で慰問やレコーディング
  • 1945 ディ ステファノ: 戦争が終結し、ミラノに帰国
  • 1946.4.20 ディ ステファノ: レッジョ エミリア市立劇場でデビュー (演目 “マノン”)
  • 1947 ディ ステファノ: ミラノのスカラ座でデビュー
  • 1947.11.30 ディ ステファノ: チレアのオペラ (アルルの女 第2幕から ”フェデリコの嘆き-ありふれた羊飼いの話”)をロンドンのアビーロード スタジオで録音
  • 1947.12.6 プッチーニのオペラ (トスカ 第3幕から “星は光りぬ”)をロンドンのアビーロード スタジオで録音
  • 1948.2 ディ ステファノ: ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビュー
    • 1948.6.21 米国コロムビア社がビニル製のLPレコードを発売
  • 1949 マリア ジロラミとニューヨークで結婚
  • 1950.11.20 フランチェスコ チレアがイタリアのバラッツェで逝去
    • 1951.6.15 オペラではHMV社で最後の蓄音機レコードをミラノで録音。
  • 1953.8.10-20 オペラ至上最高と称されるLPレコードを録音 (演目 “トスカ”; 指揮 ビクトル デ サバタ; 歌手 マリア カラス, ジュゼッペ ディ ステファノ, ティート ゴッビ)
  • 1956.11.22 カンツォーネ “プレジコの漁師 Piscatore e Pusilleco”の蓄音機レコードをミラノで録音
  • 1957 エディンバラ国際フェスティバルを皮切りにイギリスデビュー
  • 1961 ロンドンのロイヤル オペラハウス (コベントガーデン)でデビュー (演目 “トスカ”)
  • 1973 ディ ステファノ: マリア カラスと世界ツアー開始
  • 1974 カラスとディ ステファノが日本公演
  • 1974.11.11 カラスの最終公演。ディ ステファノと札幌で共演 (演目 “トスカ”)
  • 1976 ディ ステファノ: マリア ジロラミと離婚
  • 1977 ディ ステファノ: モニカ クルトと交際開始
  • 1977.9.16 マリア カラスがパリで逝去
  • 1992.6 ディ ステファノ: ローマのカラカラ大浴場跡で最終公演 (プッチーニ “トゥーランドット”)
  • 1993 ディ ステファノ: モニカ クルトと結婚
  • 2004.12.3 ディ ステファノ: 別荘があるケニアのダイアニ海岸で強盗に襲撃され意識不明
  • 2008.3.3 ジュゼッペ ディ ステファノが昏睡状態のままミラノで逝去

ジュゼッペ ディ ステファノのSPレコード ...蓄音機でもっと

オペラ "トスカ Tosca"のSPレコード ...蓄音機でもっと

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