77年前の悲嘆 - 伝説を繋ぐ若き歌声 オペラ “アルルの女” ミラノ初演から50年
ジュゼッペ ディ ステファノのSPレコード
フランチェスコ チレアのオペラ “アルルの女 L’arlesiana”
フランチェスコ チレアの “アルルの女 L’arlesiana”がミラノのリリコ劇場で初めて披露されたのは1897年11月27日。この時に主役のフェデリーコ役として出演したテノール歌手が、イタリアの伝説的テノール歌手 エンリコ カルーソ Enrico Carusoでした。
“アルルの女”の成功を契機として世界ツアーに臨み、名声を博したカルーソ。その活躍は、同じ時期に発展した蓄音機レコードと共にありました。
1902年4月11日に、グラモフォン & タイプライター社で10曲を録音して以来、1920年のブルックリンでのコンサートで喀血して倒れるまでに250曲ものレコーディングを行い、世界で初めてのミリオンセラー歌手となったカルーソ。しかし、不思議なことに出世作で初演も務めた “アルルの女 L’arlesiana”のレコーディングはありません。
惜しまれつつもエンリコ カルーソがこの世を去ったのが1921年8月2日。療養中のナポリが最後の地となりました。
その僅か1週間前。1921年7月24日にイタリアのシチリア島で産声を上げたのが、ジュゼッペ ディ ステファノ。そんなディ ステファノが、やがてイタリアが生んだ世界的なテナーとして活躍するとは運命と感じずにはいられません。
ディ ステファノがオペラで活躍し始めたのは、戦争が終結し再びイタリアに帰国した1945年。ディ ステファノ 24歳の時でした。
それから僅か2年を経た1947年。遂にミラノのスカラ座でデビューし、翌年の1948年には27歳の若さでニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビューします。
カルーソが、その歌声を残さずに去ったチレアのオペラ “アルルの女L’arlesiana”の第2幕から ”フェデリーコの嘆きLamento di Federico …ありふれた羊飼いの物語 È la solita storia del pastore”)を録音したのは、1948年2月。1949年に結婚も果たしたディ ステファノが、世界的テナーとしての絶頂へと昇り始めた時期に重なります。 この蓄音機レコードは何れもイタリアが生んだ ”金色の美声 la voce d’oro”と称される名声を獲得し始めた初期の録音です。その響きをゼンマイの音から生の振動で感じてください。
アルルの女 第2幕から ”フェデリーコの嘆き-ありふれた羊飼いの物語” L’arlesiana “È la solita storia del pastore - Lamento di Federico"
アルルの女性に恋をしたフェデリーコ。しかし彼女はメティーフィオの情婦と知らされます。
悲しみにくれる中、傍らで寝込んでしまった知的障害の弟に優しくマントをかけるフェデリーコ。
自分もこの弟のように心穏やかに眠れたなら、彼女のことを忘れられるだろうに。
そんなやり場のない苦しい失恋の気持ちを歌う曲が、”フェデリーコの嘆きLamento di Federico”。“アルルの女 L’arlesiana”の第2幕から “ありふれた羊飼いの物語 È la solita storia del pastore”。
ゼンマイの音から当時の響きを感じてください。
オリジナルの和訳
ありふれた 羊飼いの物語
不憫な弟よ
話し始めて 眠りに落ちる
そうして 眠って忘れる
なんと 羨ましきことよ
こんな風に 眠れたなら
せめて眠りで 消し去って
ただ穏やかな 心を求め
忘れることが できたなら
だけども 全てが空しい
今までなら いつでもそこに
愛くるしい 君の姿があったのに
失われた平穏よ 僕の元へ
何故 こんなにも
苦しまなければ いけないのか
君は絶えず 目の前に
運命の幻影を 残したまま
たくさんの 痛みを加えて
あぁ なんということ
経緯
- 1858.12.22 ジャコモ プッチーニ: 伊トスカーナ地方のルッカで生まれる
- 1921.7.24 ジュゼッペ ディ ステファノがイタリア シチリア島の街 モッタ サンタナスタージアで生まれる
- 1921.8.2 エンリコ カルーソ: ナポリで逝去
- 1923.12.2 マリア カラスがニューヨークで生まれる
- 1924.11.29 ジャコモ プッチーニ: ベルギーで逝去
- 1926 プッチーニ: “トゥーランドット”の初演 (テノール: ミゲル フレータ)
- 1939.9.1 第二次世界大戦が勃発
- 1941 ディ ステファノ: イタリア軍に徴兵
- 1943.9.3 イタリア軍の降伏後にドイツ軍がイタリアを侵略
- 1943 ディ ステファノ: スイスに逃亡。各地で慰問やレコーディング
- 1945 ディ ステファノ: 戦争が終結し、ミラノに帰国
- 1946.4.20 ディ ステファノ: レッジョ エミリア市立劇場でデビュー (演目 “マノン”)
- 1947 ディ ステファノ: ミラノのスカラ座でデビュー
- 1947.11.30 ディ ステファノ: チレアのオペラ (アルルの女 第2幕から ”フェデリコの嘆き-ありふれた羊飼いの話”)をロンドンのアビーロード スタジオで録音
- 1947.12.6 プッチーニのオペラ (トスカ 第3幕から “星は光りぬ”)をロンドンのアビーロード スタジオで録音
- 1948.2 ディ ステファノ: ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビュー
- 1948.6.21 米国コロムビア社がビニル製のLPレコードを発売
- 1949 マリア ジロラミとニューヨークで結婚
- 1950.11.20 フランチェスコ チレアがイタリアのバラッツェで逝去
- 1951.6.15 オペラではHMV社で最後の蓄音機レコードをミラノで録音。
- 1953.8.10-20 オペラ至上最高と称されるLPレコードを録音 (演目 “トスカ”; 指揮 ビクトル デ サバタ; 歌手 マリア カラス, ジュゼッペ ディ ステファノ, ティート ゴッビ)
- 1956.11.22 カンツォーネ “プレジコの漁師 Piscatore e Pusilleco”の蓄音機レコードをミラノで録音
- 1957 エディンバラ国際フェスティバルを皮切りにイギリスデビュー
- 1961 ロンドンのロイヤル オペラハウス (コベントガーデン)でデビュー (演目 “トスカ”)
- 1973 ディ ステファノ: マリア カラスと世界ツアー開始
- 1974 カラスとディ ステファノが日本公演
- 1974.11.11 カラスの最終公演。ディ ステファノと札幌で共演 (演目 “トスカ”)
- 1976 ディ ステファノ: マリア ジロラミと離婚
- 1977 ディ ステファノ: モニカ クルトと交際開始
- 1977.9.16 マリア カラスがパリで逝去
- 1992.6 ディ ステファノ: ローマのカラカラ大浴場跡で最終公演 (プッチーニ “トゥーランドット”)
- 1993 ディ ステファノ: モニカ クルトと結婚
- 2004.12.3 ディ ステファノ: 別荘があるケニアのダイアニ海岸で強盗に襲撃され意識不明
- 2008.3.3 ジュゼッペ ディ ステファノが昏睡状態のままミラノで逝去


