110年前の歓喜と興奮 - オペラ "ミニョン" 妖精の女王役 高らかに歌い上げる恋敵
ルイーザ テトラツィーニのSPレコード
私はティターニア ... トマのオペラ "ミニョン"
蓄音機が普及し、シェラック (カイガラムシの殻から取った天然樹脂)でできたレコード盤が作られた時期は、ルイーザ テトラツィーニの絶頂期と重なっています。
テトラツィーニがレコード録音していた時期は、電気を介さずに、声の振動を直接に録音していた期間。1904年から1920年という短い期間です。
1911年7月14日、アンブロワーズ トマのオペラ作品 “ミニョン” 第二幕 “私はティターニア”が録音されました。
この作品は、パリのオペラ=コミック座で1866年に初めて公演されました。オペラ=コミックらしく、主人公の旅芸人の娘ミニョンが幸せになるハッピーエンドの内容ですが、通常のオペラに多い悲劇的なエンディングのバージョンもあるようです。
テトラツィーニが歌うのは、ミニョンの恋敵でオペラ歌手のフィリーヌが、男爵の邸宅で開催された演劇中に披露したシェイクスピアの”真夏の夜の夢”の一場面。妖精の女王として自信満々に高らかに歌い上げる姿が第二幕を締めくくり、第三幕への展開を期待させる重要な場面です。
その歓喜と興奮をゼンマイの振動と共に感じてください。
私はティターニア ”Io son Titania” ... 蓄音機のレコードで
オリジナルの和訳 - 原詩のまま
さぁ 今夜 わたしは 妖精の女王 ご覧なさい 選りすぐりの ゴールド 眺めなさい このトロフィー わたしは ブロンドの ティターニア 太陽の娘 太陽の 威厳に満ちて 世界に願う 歌姫 ジョコンダ 鳥より 軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは ブロンドの ティターニア 駆け抜ける 歌姫 ジョコンダ 鳥より軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは ブロンドの ティターニア わたしは ティターニア 太陽の娘 威厳に満ちて 世界に願う 歌姫 ジョコンダ 鳥より軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは ブロンドの ティターニア 群衆の中 軽快に 舞い踊る 宮廷の中 愛の賛歌 響き渡る 群衆の中 軽快に 舞い踊る 月の女神 シンシア 解き放たれ 姿を現す 花に囲まれ 夜明けの開花 ハーブ 花々 彩る丘 霧の中 泡立つ波 誰も彼も 軽快なステップ 跳ね回る 快楽 ハーブ 花々に 包まれて 軽快 ステップ 霧の中 誰も彼も 跳ね回る 快楽 飛び跳ね回る 快楽 わたしは ティターニア 威厳に満ちて 世界に願う 歌姫 ジョコンダ 鳥より 軽々と飛び オーラをも 切り裂く - イタリア語版の歌詞より
オリジナルの和訳 - レコードでの歌詞
さぁ 今夜 わたしは 太陽のブロンド ティターニア 選りすぐりの ゴールド 威厳に満ちた 世界の希望 歌姫 ジョコンダ 鳥より 軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは 太陽のブロンド ティターニア 駆け抜ける 歌姫 ジョコンダ 鳥より軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは 太陽のブロンド ティターニア わたしは ティターニア 太陽の娘 威厳に満ちた 世界の希望 歌姫 ジョコンダ 鳥より軽々と飛び 大気をも 切り裂く わたしは 太陽のブロンド ティターニア 群衆の中 軽快に 舞い踊る 宮廷の中 愛の賛歌 響き渡る 群衆の中 軽快に 舞い踊る 月の女神 シンシア 解き放たれ 姿を現す 花に囲まれ 夜明けの開花 ハーブ 花々 彩る丘 霧の中 泡立つ波 誰も彼も 軽快なステップ 跳ね回る 快楽 ハーブ 花々 包まれて 軽快 ステップ 霧の中 誰も彼も 跳ね回る 快楽 飛び跳ね回る 快楽 わたしは ティターニア 威厳に満ちた 世界の希望 歌姫 ジョコンダ 鳥より 軽々と飛び オーラをも 切り裂く 太陽の娘
経緯
- 1564.4.26 ウィリアム シェークスピアが英ストラトフォード=アポン=エイボンで洗礼
- 1595-1596 シェークスピア “真夏の夜の夢”を執筆
- 1616.4.23 ウィリアム シェークスピアが英ストラトフォード=アポン=エイボンで逝去
- 1866.11.17 アンブロワーズ トマのオペラ “ミニョン”がパリのオペラ=コミック座で初演 (フランス語)
- 1870.7.5 オペラ “ミニョン“がロンドンで初演。イタリア語で作詞。
- 1871.6.29 ルイーザ テトラツィーニがイタリア フローレンスで生まれる
- 1876.4.8 アミルカレ ポンキエッリのオペラ “ラ ジョコンダ”がミラノのスカラ座で初演
- 1890.10.21 テトラツィーニが19歳にしてマイアベーアのオペラ作品 “アフリカの女”のイネス役を演じる
- 1890.12.26 ローマでイタリア国王と女王の前でイネスを演じる
- 1892-1895 南アメリカツアー
- 1896.12.31 サンクトペテルブルクでデビュー
- 1896-1897 欧州ツアー…マドリッド、ミラノ、ツリン、オデッサ
- 1899-1903 欧州ツアー…イタリア、ドイツ、ポーランド、ロシア
- 1905.1.11 米国デビュー…サンフランシスコ
- 1907 英語圏でも名声を獲得
- 1904-1920 テトラツィーニがレコーディングした期間
- 1911.7.14 テトラツィーニがオペラ “ミニョン”から第二幕 “私はティターニア Io son Titania”をイタリア語で録音
- 1940.4.28 ルイーザ テトラツィーニがイタリア ミラノで逝去


