91年前の支え - "恋愛の機微"を表現したアルバム 大正から昭和初期を生き抜いて

河歌美 貞奴のSPレコード ... 川上 貞奴 ?

日本で最初の女優とされている川上貞奴。欧米でも、エキゾチックな美貌と演技で人気を博しました。

ロダンが彫刻のモデルをオファーしたが断ったという話、ピカソが演技を絶賛した話、フランス政府が勲章を授与したなど、人気の高さは、そういった逸話からも想像がつきます。

カワカミという音は同じですが、女優としては ”流れる川の上流”と書いて ”川上”です。しかし、歌手としては “大河の河に、歌う美しさ”と書いて ”河歌美”になっています。

レコードが録音されたのは、1930年4月 (昭和5年)。女優を引退して13年後に録音したことになります。

元々日舞に秀でた芸子だった貞奴ではありますが、この録音が本当に女優の “川上貞奴”だったのでしょうか?

その謎解きも楽しみのひとつとして、ゼンマイの音から聞いてみてください。

初めての近代女優として有名な川上貞奴と、このレコードを録音した河歌美貞奴を同じ人物と捉えて、日本で初めてレコーディングした女優は川上貞奴と評している記述を見かける時があります。

河歌美貞奴がポリドールで端唄 (忍ぶ恋路、梅は咲いたか、よりをもどして、宇治は茶所)を録音したのが、1930年4月 (昭和5年)。

この時期、川上貞奴は、女優を引退してまで設立した念願の川上児童劇団を維持するための資金集めで奔走していました。

1924年 (大正13年)に設立した川上児童劇団は、1926年1月 (大正15年)に、帝国劇場の福澤会長の支援を得て帝国劇場での初演に成功しました。しかし、1928年 (昭和3年)に福澤会長が辞任して実業界からも引退すると、資金繰りが苦しくなります。さらに帝国劇場が松竹に買収されるに至って、遂に1932年 (昭和7年)に川上児童劇団は解散しました。

実は、福澤会長と川上貞奴は、公にも知られた愛人関係にありました。

河歌美貞奴と称する芸姑が録音した端唄は、何れも恋愛の機微を表現した唄ばかりです。

全く関係なさそうに思える “宇治は茶所”ですら、美味しい宇治茶を支える大吉山の自然の恵みを表現しており、2人の関係を茶化しているように聴こえます。

1932年 (昭和7年)は、3月1日に満州国を建国して、日本は第二次世界大戦への道を踏み出して行った激動の時期でした。

大正時代から昭和に移っていく時代背景や、この時代の民衆の興味関心。生の振動として、ゼンマイの音から感じてください。

梅は咲いたか

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳やなよなよ 風しだい
山吹や浮気で 色ばっかり
しょんがいな

忍ぶ恋路

忍ぶ恋路は さてはかなさよ
今度逢ふのが 命がけ
よごす涙の おしろいも
その顔かくす 無理な酒

よりをもどして

よりを戻して 逢う気はないか
未練で言うのじゃ なけれども
鳥も枯れ木に 二度止まる
ちと逢いたいね

宇治は茶所

宇治は茶どころ さまざまに
中にうわさの 大吉山と
人の気に合う 水に合う

色も香もある 濡れた同士
粋な浮世に 野暮らしい

こちゃ こちゃ こちゃ
濃い茶の芽かいな

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