116年前の動揺 - ベルディの名作 ”椿姫” 純愛に目覚めたヒロイン

ネリー メルバのSPレコード

ベルディのオペラ "椿姫" - あぁ、そは彼の人か

ジャコモ プッチーニのオペラ “ラ ボエーム”が初めて公演されたのは1896年2月1日。伊トリノのレージョ劇場でした。

既にロンドンのコベント ガーデンで有名になっていたネリー メルバは、”ラ ボエーム”に惚れ込んで、プッチーニに直々に教えを請うたのが、初演から僅か3年後の1899年でした。

遂にコベント ガーデンに反発してまで、プッチーニのオペラを演じることを選びます。

メルバは1907年にニューヨークのマンハッタン歌劇場と契約。1907年3月24日に、”ラ ボエーム”から、”私の名はミミ”をニューヨークで録音します。さらに3日後の1907年3月27日に、ジュゼッペ ベルディのオペラ ”椿姫”から、”あぁ、そは彼の人か”を録音します。

コベント ガーデンは、メルバが去った後にルイーザ テトラツィーニと契約。テトラツィーニをヒロインのビオレッタ役に配して ”椿姫”を上演します。1907年11月2日のことでした。

ネルバが、同じ”椿姫”を米国で録音してビクトローラから発売した8か月後のことでした。テトラツィーニは5年後の1912年5月1日に、同じビクトローラから”椿姫” (あぁ、そは彼の人か)を発売しています。

椿姫 - あぁ、そは彼の人か Ah, fors'è lui ... 蓄音機のレコードで

高級娼婦ビオレッタの退院を祝って邸宅で開催された華やかな社交界のパーティー。ビオレッタに心を寄せる青年貴族のアルフレードに、告白の返答として椿の花を贈ります。

「この椿の花がしおれたら返しにきて」

翌日がビオレッタとの再会の機会と捉えたアルフレードの心は舞い上がります。

アルフレードの純愛に心が揺れている自分に驚くビオレッタ。

ビオレッタが歌うのは、”あぁ、そは彼の人か Ah, fors'è lui”。ゼンマイの音から当時の振動を感じてください。

オリジナルの和訳

不思議 なんて 不思議
心の中に 刻まれた あの言葉
真剣な恋とは 不幸になるもの?
どうすれば安らぐの? このざわつく心

こんな喜び 灯したことはなく
恋愛に 愛されるとは 思いもせず
ないがしろになんて できはしない
乾ききった 愚かな人生 なのだから

あぁ そは彼の人か
心が 勝手に ざわめいて
喜び描く 神秘の彩り

慎み深く 注意深く
か弱い心に 忍びこみ
初心な 火種に 点火して
愛の炎を 目覚めさす

この愛は 世界すべてを 震わせて
神秘で気高い 心の十字架
乙女みたいに 純粋で 心細いまま
未来を描く 愛しい人

愛を感じて 世界すべてを 震わせて
神秘で気高い 心の十字架

むなしく 愚かな妄想 そんなもの
人ごみに埋もれた 浅はかな女
砂漠に捨てられ ひとりぼっち
それこそ パリというところ
いったい何を 望めというの?
いったい何を すればいいの?
喜び快楽 滅びゆくまま 渦の中

自由気ままに 喜びから喜び
快楽の小道を 流れて生きて

その日が生まれ その日が死んで
集う場所なら 感じる幸せ
いつもの 新たな喜びに
想いは いっそう 舞い上がる
このSPレコードで唄われている歌詞
あぁ そは彼の人か
心が 勝手に ざわめいて
喜び描く 神秘の彩り

慎み深く 注意深く
か弱い心に 忍びこみ
初心な 火種に 点火して
愛の炎を 目覚めさす

この愛は 世界すべてを 震わせて
神秘で気高い 心の十字架
乙女みたいに 純粋で 心細いまま
未来を描く 愛しい人

むなしく 愚かな妄想 そんなもの

自由気ままに 喜びから喜び
快楽の小道を 流れて生きて

その日が生まれ その日が死んで
集う場所なら 感じる幸せ
いつもの 新たな喜びに
想いは いっそう 舞い上がる
歌詞の朗読 by まーちゃん "マイラチャンネル"
歌詞の朗読 by ポポー "そらいろのたね"

経緯

  • 1813.10.10 ジュゼッペ ベルディが現在の伊パルマのレ ロンコーレ村で生まれる
    • 1821.3.24 マチルデ マルケージが独フランクフルト アム マインで生まれる
  • 1853.3.6 ベニスのフェニーチェ劇場で”椿姫”が初演。準備不足で大失敗。
  • 1854.5 “椿姫”の再演。念入りな準備により大喝采。
    • 1858.12.22 ジャコモ プッチーニが伊トスカーナ地方のルッカで生まれる
  • 1861.5.19 ネリー メルバが豪メルボルン近郊のリッチモンドで生まれる (本名 ヘレン ポーター ミッチェル)
    • 1871.6.29 ルイーザ テトラツィーニがイタリア フローレンスで生まれる
  • 1882.12.22 チャールズ アームストロングと結婚
  • 1883.10.16 長男 (ジョージ)誕生
  • 1884 夫のハラスメントで離婚
  • 1886 ロンドンのプリンシズ ホール (ピカデリー)でデビュー。あまり評判にならなかったためパリでマチルデ マルケージに師事
  • 1887.10.12 ブリュッセルのモネ劇場でデビュー。ベルディのオペラ “リゴレット” (ジルダ役)で大成功。故郷のメルボルンにちなみ芸名をメルバに。
  • 1889.6.15 ロンドンのコベント ガーデンで “ロミオとジュリエット”を演じて名声を確立
    • 1896.2.1 プッチーニのオペラ “ラ ボエーム”がトリノのレージョ劇場で初演
  • 1899 メルバが “ラ ボエーム”のミミ役を直接プッチーニに師事
    • 1901.1.27 ジュゼッペ ベルディがミラノで逝去
  • 1907 “ラ ボエーム”を演じるためニューヨークのマンハッタン歌劇場と契約
  • 1907.3.24 メルバがプッチーニのオペラ “ラ ボエーム”から“私の名はミミ”をニューヨークで録音
  • 1907.3.27 メルバがジュゼッペ ベルディのオペラ “椿姫”から”ああ、そは彼の人か”をニューヨークで録音
    • 1907.11.2 ルイーザ テトラツィーニがコベント ガーデンでデビュー (“椿姫” ビオレッタ役)
    • 1908 テトラツィーニがニューヨークのマンハッタン歌劇場と契約 (”椿姫” ビオレッタ役)
    • 1912.5.1 テトラツィーニがオペラ “椿姫”から”ああ、そは彼の人か”を米国で録音
    • 1913.11.17 マチルデ マルケージがロンドンで逝去
    • 1924.11.29 ジャコモ プッチーニがブリュッセルで逝去
  • 1931.2.23 ネリー メルバがシドニーで逝去
    • 1940.4.28 ルイーザ テトラツィーニがミラノで逝去

ネリー メルバのSPレコード ... 蓄音機でもっと

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