120年前の振動 – 名品中の名品 ストラディバリウスの悪魔的な演奏 タランテラ Tarantelle

パブロ デ サラサーテのSPレコード

序奏とタランテラ 作品43 ... サラサーテ

南イタリアの民族舞踊の舞曲タランテラ。

その名称は南イタリアの街タラントで農民を悩ませたタランチュラ (コモリクモWolf spider, 学名Lycos tarantula)に由来し、その踊りの起源は紀元前の儀式にまで遡ります。

多くの作曲家がタランテラのリズムを使った曲を発表しており、南イタリアを象徴するメロディとして映画でも使われています。

サラサーテの“序章とタランテラ作品 43”は、モデラートの序章とアレグロビバーチェのタランテラから構成されています。

静かで抒情的な序章から、快活で激しいタランテラのメロディラインに乗せた終章。

1904年に録音されたレコードでは、サラサーテの超絶的で高度な技術が詰め込まれた後半のタランテラの章だけが演奏されています。

そしてサラサーテで有名な楽曲がツィゴイネルワイゼン。

1904年に収録されたツィゴイネルワイゼンのレコードには、途中でサラサーテ本人が呟いた声が録音されています。

”Abajo el pedal de la sordina! ダンパーペダルを踏んで”

その後、ピアノの音が間伸びしながら続いたと思ったらピアノ演奏のみでレコード第1面の録音が終了しており、続きを端折ることで体裁良く第2面に移行させたように感じます。

それでもサラサーテの肉声が記録されていることで、当時の収録の生々しさが伝わってきます。

当時、サラサーテが弾いていたバイオリンは、ストラディバリウスの1724年製 “le Sarasate ル サラサーテ”と1713年製 “Boissier-Sarasate ボワシエ-サラサーテ”の2挺。

この1724年製のストラディバリウスは1817年から1840年にかけてピコロ パガニーニも演奏したバイオリンで、サラサーテの遺言によりパリ音楽院に寄贈されました。

現在では”le Sarasate ル サラサーテ”の愛称で呼ばれます。

そして、もうひとつは1713年製のバイオリン “Boissier-Sarasate ボワシエ-サラサーテ”。

1821年にパリ音楽院の教授となり1833年にブリュッセル音楽院の院長も務めた音楽評論家のフランソワ=ジョセフ フェティスに寄れば、この “Boissier-Sarasate ボワシエ-サラサーテ”は、ストラディバリウスの中でも名品と呼ばれる僅か5挺のひとつになります。

深い金色の下地に濃い赤色が特徴的で、やはりサラサーテの遺言によりマドリード音楽院に寄贈されています。

何れも将来のバイオリン製作の参考になるように貴重な標本としての保存をサラサーテが希望し、サラサーテに所縁のある2つの音楽院に寄贈されとのことです。

タランテラ Tarantelle ... 蓄音機のレコードで

サラサーテが亡くなったのは生まれ故郷のバスク地方。最初で最後の録音をする1904年の僅か4年後、1908年のことでした。

長らく肺炎を患っていたサラサーテは、演奏できることもそう長くはないと悟っていたのかも知れません。

やっとレコード録音の技術が確立した1904年。その年も終わる11月から12月にかけての短い期間を使って、サラサーテ自身が作曲した楽曲を自らが演奏して記録に残したのです。

この時、果たしてサラサーテは、どちらのストラディバリウスで演奏したのでしょうか。

“Boissier-Sarasate ボワシエ-サラサーテ”か、それとも ”le Sarasate ル サラサーテ”か。

いずれにしても、今となっては殆ど聴くことは叶わないサラサーテの名前を冠したストラディバリウスの名品中の名品。

そんなバイオリンが奏でる振動を、サラサーテの悪魔的な演奏技術で当時を想像しながら感じてください。

経緯

  • 1835.10.9 カミーユ サン=サーンスがパリで生まれる
  • 1844.3.10 パブロ デ サラサーテがスペイン北部バスク地方のパンプローナで生まれる
    • 1848 サン=サーンスがパリ音楽院に入学
    • 1853 サン=サーンス: 交響曲第一番を作曲
    • 1853-1857 サン=サーンス: パリのサン=メリ教会のオルガン奏者を務める
  • 1855.7 パリ音楽院に向かう途上でコレラに発症。母のジャビエラ アントニアJaviera Antoniaが合併症のためフランス南西部のバイヨンヌで逝去。
  • 1856 パリ音楽院に入学。パリ音楽院の理事テオドール ラサバッティと妻のアメリエが親代わりに支える
    • 1858 サン=サーンス: パリのマドレーヌ寺院のオルガン奏者を務める
    • 1858 サン=サーンス: バイオリン協奏曲第二番ハ長調 作品58を作曲。1879年に出版
    • 1863 サン=サーンス: 序奏とロンド カプリチオーソ イ短調 作品28を作曲。サラサーテに献呈
  • 1866 サラサーテがバイオリンの名工 ヴィヨームからストラディバリウス(1724年製)を購入 (現le Sarasate ル サラサーテ)
  • 1867.4.4 サラサーテが序奏とロンド カプリチオーソをシャンゼリゼで初演
  • 1870.4.4 ニューヨークツアーのためニューヨークに到着
  • 1870.4.20 アンリ コヴァルスキのコンサートで階段から転落し負傷。ストラディバリウス (1724年製)を破損。急遽、ヴィヨーム作のバイオリンで演奏。
    • 1871.12.5 テオドール ラサバッティが逝去
  • 1872.2.1 サラサーテの1724年製ストラディバリウスはヴィヨームがニコロ パガニーニから購入した品との鑑定証明書をヴィヨームに依頼
  • 1872.5 ニューヨークからパリに帰国
    • 1872.6.18 ヴィヨームがサラサーテの1724年製ストラディバリウスを修理
    • 1875.3.19 ジョン=バティスト ヴィヨームがパリで逝去
  • 1877.12-1881.10 スペイン舞曲集 (全4集)を作曲。
  • 1878 ツィゴイネルワイゼン作品20 (ジプシーのアリアAires gitanos)を作曲
    • 1880 サン=サーンス: バイオリン協奏曲第三番ロ短調作品61を作曲。サラサーテに献呈
  • 1881.1.2 サラサーテがバイオリン協奏曲第三番ロ短調をパリで初演
  • 1883カルメン幻想曲 (バイオリンと管弦楽のための幻想曲)を作曲
  • 1888.10.26 サラサーテが1713年製ストラディバリウス “Boissier ボワシエ”をガン&ベルナーデル商会から購入 (現Boissier-Sarasate ボワシエ-サラサーテ)
  • 1899 序奏とタランテラ 作品43 Introduction et Tarantelle Op.43を作曲し出版
  • 1904.11-1904.12.1 ツィゴイネルワイゼン Aires gitanos, ハバネラHabanera, タランテラTarantelle, ミラマールMiramar, バスク奇想曲Caprice basqueをパリで録音。無伴奏バイオリンのためのパルティータ 第3番から前奏曲 Prelude, Partita No. 3を録音。
  • 1908.9.20 パブロ デ サラサーテがフランス南西部のバスク地方のビアリッツで逝去
    • 1921.12.16 カミーユ サン=サーンスがアルジェで逝去

サラサーテのSPレコード ... 蓄音機でもっと

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