96年前のラブソング - 19世紀末 ブロードウェイの時代を変えた二人の作品

ポール ロブスンのSPレコード

ミュージカル "the Casino Girl" - 恋人たちの小路 Down de lovers' lane

1898年、米国で人種差別を打破する画期的な出来事がありました。

この年に初めて、ブロードウェイではアフリカ系アメリカ人スタッフだけによるミュージカル “クロリンディ: ケークウォークの起源 Clorindy: The origin of the Cakewalk”が公演されたのです。

作曲を担当したのはウィル マリオン クック、作詞はポール ローレンス ダンバーでした。

この二人が1900年に発表した曲が “Down de lovers’ lane 恋人たちの小路”。ミュージカル “the Casino Girl カジノ ガール“の第二幕で歌われた曲です。

原詩では当時のアフリカ系アメリカ人に特有の訛りが特徴的ですが、1928年に録音されたこのポール ロブスンのレコードでは一部の歌詞がアレンジされており軽快な印象です。

ポール ロブスンが生まれたのは1898年4月9日。ミュージカル “クロリンディ”が公演された正に同じ年でした。

新しいアメリカの始まり。その当時の生の振動をお楽しみください。

恋人たちの小路 "Down de lovers' lane" ... 蓄音機のレコードで

作詞 ポール ローレンス ダンバー Paul Lawrence Dunbar
作曲 ウィル マリオン クック Will Marion Cook
編詩 ポール ロブスン Paul Robeson ...原詩と一部が異なる

オリジナルの和訳

夏の夜 ため息ついて そよぐ風
恋人たちの 小路に沿って
優しく影を 落とす木々

恋人たちの 小路に沿って
道端に 熱い恋人たち(白人たち)

僕とマンディ 手に手をとって
我がもの顔で のんびり歩く
恋人たちの 小路に沿って

恋人たちの 小路を行けば
月の光が 路地を照らす
同じフレーズ 口ずさむ
甘く素敵な 恋人たちの小路

あぁマンディ 一緒に歩けば
青々と低い 木々の横
まるで まさに天国のよう

恋人たちの 小路のそばで
草木が揺れて こうべをかしげ

恋人たちの 小路のそばで
僕の話に 聞き耳たてる

恋人たちの 小路のそばで
ことさら小声で ささやくと
マンディがくれる 至福の笑顔

草木までもが 嫉妬する
恋人たちの 小路の上で

経緯

  • 1869.1.27 ウィル クックがワシントンDCで生まれる
  • 1872.6.27 ポール ダンバーがオハイオ州デイトンで生まれる
  • 1898 クックとダンバーがミュージカルコメディをブロードウェイで開催。アフリカ系アメリカ人のみで開催した初めてのミュージカル。”クロリンディ: ケークウォークの起源”
  • 1898.4.9 ポール ロブスンが米国 プリンストンで生まれる
  • 1900.3.19 “Down de lovers’ lane 恋人たちの小路”を発表。ミュージカル “the Casino Girl”の第二幕 (ニューヨークのカジノ劇場で開演。1900.6.9閉演)。
  • 1906.2.9 ポール ダンバーがオハイオ州デイトンで逝去
  • 1923 ロブスン: 米国コロンビア大学のロースクールを卒業
  • 1928 ロブスン: “Seems lak to me まるで私”を英国で録音 (裏面 “Down de lovers’ lane 恋人たちの小路”)
  • 1944.7.19 ウィル マリオン クックがニューヨークで逝去
  • 1949.6.20 ロブスン: パリ平和会議の演説 (反差別と反戦)によりブラックリスト入り
  • 1949.8.27 ロブスン: コンサート中止
  • 1950 ロブスン:  NBCへの出演差し止め。パスポート発行の拒否
  • 1952 ロブスン: ソ連から国際スターリン賞を受賞
  • 1952.5 ロブスン: 米国とカナダの国境で平和コンサート。ウェールズに向けたラジオコンサート
  • 1976.1.23 ポール ロブスンが米国 フィラデルフィアで逝去

ポール ロブスンのSPレコード ... 蓄音機でもっと

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