120年前の頑健 - 心火を燃やすマンリーコ 高音のテナーの本領
フランチェスコ タマーニョのSPレコード
ベルディのオペラ "イル トロバトーレ Il trovatore" - 見よ恐ろしい炎 Di quella pira
イタリアの伝説的テナー、フランチェスコ タマーニョ。
オペラ作家として既に高い名声を得ていたジュゼッペ ベルディの制作への意欲が低迷した時代。そんな時代にイタリアオペラ界に登場したのがタマーニョでした。
16年という長いブランクを経て、ベルディの新作となるオペラ “オセロ”がミラノのスカラ座で発表されると、再びベルディ作品は脚光を浴びることとなりました。
そして主人公オセロのテナーを務めたのがフランチェスコ タマーニョ。ベルディの集大成であり代表作となった “オセロ”は、タマーニョの代名詞となりました。
タマーニョは、その声量と高音 (ハイC …2オクターブ上のド)で高い評価を得ました。
高音が魅力とされるテナーの特徴を顕著に表現できたのが、ジュゼッペ ベルディのオペラ “イル トロバトーレ Il trovatore”です。
HMV社 (Victor Talking Machine)と契約し、精力的に蓄音機レコード (SPレコード)を録音したのが1903年2月。その翌年には体調を崩し、僅か2年後の1905年8月31日にこの世を去りました。ベルディの逝去から4年後のことでした。
そのひとつ、イル トロバトーレから “見よ 恐ろしい炎を Di quella pira”。オリジナルの和訳に “心火と化す Di quella pira”というタイトルを添えて紹介します。
ベルディとタマーニョの時代を刻んだ生の振動を感じてください。
心火と化す Di quella pira ... 蓄音機のレコードで
愛し合うレオノーラとマンリーコは、お互いに結婚を誓います。
そんなレオノーラをあきらめきれないルーナ伯爵は、レオノーラを誘拐しようとしますが失敗。遂にマンリーコの母親を牢獄に捕らえ、火あぶりの刑に処する準備を始めます。
結婚式の最中、その知らせを受けたマンリーコは、母親の救出に向かうことを決心するのでした。
オリジナルの和訳
心火と化す 凄まじい炎 あらゆる生地を 焼き尽くす 冒とく者 その炎を 消すのだ さもなくば 貴様の血で 消して見せよう 愛する以前に 息子なのだ 果てぬ苦悩など 耐えられぬ 不憫な母を 救い出すのだ さもなくば あなたと共に 命果てよう ※ Di quella piraの直訳は “あの火刑台の”
経緯
- 1813.10.10 ジュゼッペ ベルディがフランスのレ ロンコーレ村で生まれる
- 1836.5 ベルディがマルゲリータ バレッツィと結婚
- 1839.11.17 ベルディの処女作 “オベルト”がミラノのスカラ座で好評となる
- 1840.6.18 ベルディの妻マルゲリータが逝去
- 1842.3.9 ベルディがミラノのスカラ座で “ナブッコ”を初演。ベルディの出世作に
- 1850.12.28 フランチェスコ タマーニョがイタリアのトリノで生まれる
- 1853.1.19 イル トロバトーレがローマのアポロ劇場でスペイン語で初演
- 1854.12.23 イル トロバトーレがフランスのイタリア座でイタリア語で初演
- 1871.12.24 エジプトのカイロ劇場でベルディのオペラ “アイーダ”を初演。当時ベルディ芸術の集大成と称されたが、長期のブランクに。
- 1874.1.20 タマーニョがベルディのオペラ “仮面舞踏会”を好演し名声を得る (伊パレルモのベリーニ劇場)
- 1887.2.5 タマーニョがミラノのスカラ座でベルディのオペラ “オセロ”を初演。ベルディにとって16年振りの新作発表。
- 1901.1.27 ジュゼッペ ベルディがイタリアのミラノで逝去
- 1901.2 タマーニョとカルーソがベルディの追悼公演で共演 (ミラノのスカラ座)
- 1903.2 イル トロバトーレの第3幕 “心火と化す (見よ 恐ろしい炎を) Di quella pira”を録音
- 1905.8.31 フランチェスコ タマーニョがイタリア北部のバレーゼで逝去


