78年前のメッセージ - "何とかしてみせる" 君が居る限り アドリブの歌詞に込めた意思
インク スポッツのSPレコード
I'll get by 何とかしてみせる - 作詞 ロイ ターク 作曲 フレッド アーラート
米国のリズム & ブルースやドゥーワップの先駆けとして人気を博したインク スポッツ。1936年にビル ケニーをテナーパートに迎えて独自の音楽性をつくりあげました。そして人気絶頂の1944年7月、“I’ll get by”を英国で録音します。
“I’ll get by” (作詞 ロイ ターク 作曲 フレッド アーラート)は、1928年に発表され、多くの歌手がカバーしています。
実は、この “I’ll get by”には副題がついています。
I’ll get by, as long as I have you.
敢えて日本語に訳すと、”何とかしてみせる。君が居る限り”。原詩では、”君が居る限り”と恋人に語りかけていますが、インク スポッツの録音は違っていました。
ビル ケニーのテナーの後、ホッピー ジョーンズがバス低音の優しい口調で、愛しい我が子に語りかけます。
どんなことがあっても、困難に打ち勝ってみせる。
この時、ホッピー ジョーンズには7人の子供が居ました。第二次世界大戦や公民権運動の最中、敢えて独自のアドリブ歌詞に変えて、我が子だけでなく世界中の子供たちに向けてメッセージを発信しているようにも感じます。
この録音から僅か3か月後の1944年10月18日、ニューヨークの黒人音楽の聖地 カフェ ザンジバルでの公演中、ホッピー ジョーンズは脳溢血で倒れ、帰らぬ人となります。
ホッピー ジョーンズが残したメッセージ。オリジナルの和訳を添えて。ゼンマイの音から当時の生の振動を感じてください。
何とかしてみせる I'll get by ... 蓄音機のレコードで
オリジナル和訳
なんとか してみせる 君が 居る限り 雨が降っても 暗闇がきても 文句なんて いわない 越えられる はずだから 貧しい時が くるかも知れない だけど それが なんだ なんとか してみせる 君が 居る限り <語り バス> 何とか してみせる 愛しい 我が子 君が 居る限り 覚えておいて 雨が降っても そして勿論 ちょっとした暗闇でも 決して 文句なんて 言わない 絶対に 越えられる はずだから 貧しい時が くるかも知れない だけど それが なんだ なんとか してみせる 君が 居る限り
経緯
- 1892.9.19 フレッド アーラートがニューヨークで生まれる (本名 フレデリック エミールアーラート)
- 1892.9.20 ロイ タークがニューヨークで生まれる
- 1928 “I’ll get by 何とかしてみせる”を発表 (作詞 ロイ ターク 作曲 フレッド アーラート)
- 1934.11.30 ロイ タークがハリウッドで逝去
- 1944.7 “I’ll get by 何とかしてみせる” 裏面 “A lovely way to spend an evening 素敵な夜の過ごし方”)を英国で録音 (ジョーンズ, ワトソン, ケニー, マッケイ)
- 1944.10.18 ホッピー ジョーンズがニューヨークで逝去 (ザンジバルカフェの舞台中に脳溢血で卒倒)
- 1953.10.20 フレッド アーラートがニューヨークで逝去