94年前の悲恋 – 娘義太夫 “朝顔日記 大井川の段” すれ違いばかりの二人の運命

豊竹 呂之助のSPレコード

朝顔日記 大井川の段 – 大正から昭和初期の流行

豊竹 呂之助が録音した義太夫節のSPレコード。三味線を弾きながら語る物語です。

その演目は “朝顔日記 大井川の段”。人形浄瑠璃の文楽でも有名な物語。そのクライマックスの場面です。

“朝顔”こと深雪と阿曽次郎のすれ違いばかりの悲しい恋物語。阿曽次郎を想うあまりに病で盲目になり、阿曽次郎との想い出 “朝顔の詩”を琴で奏でる深雪。

そんな恋物語の最後の場面。大井川の増水に再び遮られたふたりの行く末を、豊竹呂之助が三味線を奏でて語り上げます。娘義太夫として、大正8年頃から人気を博した豊竹呂之助。女流であっても女性的な名前を襲名しないのが義太夫の習わしです。

録音されたのは1928年 (昭和3年)。まだ31歳の若々しい語り口が新鮮です。レコード会社の名称が、日本コロムビアのブランドに変更された直後のことでした。

大井川の増水により、駒沢こと阿曽次郎と深雪は再び離れ離れ。絶望の淵に置かれた深雪の運命は…

荒々しい大井川の情景と深雪の切ない姿を想像しながら、ゼンマイの音から当時の鼓動を感じてください。

朝顔日記 - 大井川の段 ... 蓄音機のレコードで

大井川の段 - 川止め
追うて行く
名に高き 街道一の大井川
篠を乱して 降る雨に
打ち交りたる はたたがみ
漲り(みなぎり)落つる 水音は
物凄くも またすさまじき
夫を慕う 念力に
道の難所も 見えぬ目も
いとはぬ 深雪が こけつ転びつ
やうやう ここに川の傍

のう川越(かわごし)たち
駒沢次郎左衛門様と いふお侍
もう川を お越しなさったか
まだか 聞かして 聞かして といふ

声さへも 息切れの
声に 川越(かわごし)口々に

おぉ その侍は 今の先 渡った
にはかの 大水で 川が止った

川止め 川止め

やぁ何 川が止まった
はぁ 悲しやと

張り詰めし 力も落ちて 伏し転び
前後不覚に 泣きけるが

※ はたたがみ…激しい雷、みなぎり…流れが激しく水しぶきが立つ、篠を乱し…激しい雨と風で荒れて、川越…川渡しの人足
大井川の段 - 泣く深雪
思へば この身は 先の世で
いかなることの 罪せしぞ
さても さても 味気なや

焦がれ 焦がれた その人に
逢うても 知らぬ 盲目の
この目は いかなる 悪業ぞや

夫の後を 恋ひ慕ひ
石になったる 松浦潟
ひれふる山の 悲しみも
身に比べては 数ならず
三千世界を 尋ねても
こんな因果が またと世に
あるべきかと 口説き立て

拳を握り 泣く深雪
露の干ぬ間の 朝顔も
山田の恵み いや増る
茂れる 朝顔物語
末の世までも いちじるし

※ 松浦潟/ひれふる山…松浦佐用姫と領巾振山(ひれふり山)の伝説を引用、三千世界…仏教の世界観による全宇宙

経緯

  • 1842.1.1 岩崎 治助が大阪で生まれる (後に6代目 豊沢 広助を襲名)
    • 1872.4.23 (明治5) 竹本 小土佐 (本名 本多つま)が名古屋で生まれる
    • 1874.1.7 山本 大次郎が京都で生まれる (後に6代目 鶴澤 友次郎を襲名)
    • 1874.8.4 (明治7) 豊竹 呂昇 (本名 永田 仲)が名古屋で生まれる
  • 1877 寄席取締規則の改正。女性が寄席の舞台に
    • 1883 竹本 京枝がデビュー
    • 1883 (明治16) 岩崎 治助が豊沢 広作 (3代目)を襲名
    • 1885 竹本 東玉、竹本 綾之助がデビュー
    • 1886 竹本 小土佐がデビュー
    • 1889.11.8 (明治22) 豊竹 昇之助 (本名 ヨネ)が大阪で生まれる
    • 1890 豊竹 呂昇が名古屋でデビュー
    • 1892 豊竹 呂昇が大阪デビュー
    • 1893 山本 大次郎が鶴澤 大造 (2代目)を襲名
  • 1897.4.22 (明治30) 豊竹 呂之助 (本名 黒川 キヨ)が奈良県で生まれる
    • 1897.7.9 竹本 伊達子 (本名 石丸いと)が生まれる (後に竹本 土佐広を襲名)
    • 1898 竹本 綾之助が結婚し引退
    • 1898.9 豊竹 呂昇が東京デビュー (日本橋 宮松亭)
    • 1901 豊竹 昇之助と昇菊の姉妹が東京デビュー
    • 1905 豊沢 広作が広助 (6代目)を襲名 (後に豊竹 呂之助を師事)
    • 1908 豊竹 昇之助が結婚
    • 1910 竹本 伊達子が大阪でデビュー
    • 1912 鶴澤 大造が友次郎 (6代目)を襲名 (後に豊竹 呂之助を師事)
  • 1916 豊竹 呂之助が豊竹 呂昇に師事し養女に
    • 1918 竹本 伊達子が東京デビュー
  • 1919 豊竹 呂之助が京都の南座で花形
  • 1923.9.1 (大正12) 関東大震災
    • 1923.9 豊竹 呂昇が引退
    • 1924.3.19 豊沢 広助 (6代目)が逝去
  • 1926 ニッポノホン (日本蓄音機商会)が英国のコロムビア レコードと契約
    • 1926.9 豊竹 呂昇が “朝顔日記 大井川の段”をニッポノホンで発売
  • 1928 ニッポノホン (日本蓄音機商会)が日本コロムビアに商号を変更
  • 1928.8-10 (昭和3)豊竹 呂之助が義太夫 “朝顔日記 大井川の段”をコロムビアで発売
    • 1930.6.7 (昭和5) 豊竹 呂昇が兵庫で逝去
  • 1939.2-3 太宰 治 "富嶽百景"を発刊。"朝顔日記"と深雪についての下り
    • 1941 竹本 伊達子が土佐広を襲名
    • 1951.10.8 鶴澤 友次郎 (6代目)が逝去
    • 1957 竹本 土佐広が女義太夫で初の人間国宝
    • 1965.11.16 豊竹 昇之助が逝去
    • 1977.1.1 (昭和52) 竹本 小土佐が大宮で逝去
    • 1992.7.27 竹本 土佐広が逝去

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