117年前の平和 – モスクワへの郷愁 キーウのバイオリン 奏でた想い出
ミシャ エルマンのSPレコード
Souvenir de Moscow モスクワの想い出 - 初めての蓄音機 愛した調べ
1891年1月20日、ウクライナのキーウ近郊の村で生まれたミシャ エルマン。
1904年にデビューし、ロシアのサンクトペテルブルグを拠点にロンドンやベルリンで活躍します。
後にロシア革命で追われ、家族と共に米国で一生を過ごすことになったミシャ エルマン。
米国デビューする2年前、1906年6月14日にロンドンで録音したのが “Souvenir de Moscow モスクワの想い出”でした。
そしてミシャ エルマンは、初めてのレコード録音としてこの曲を選んだのです。
“Souvenir de Moscow モスクワの想い出”は、ポーランド出身のヘンリク ビエニャフスキがロシア民謡の “赤いサラファン”をモチーフにして、1853年に作曲したバイオリン独奏曲です。ロシア民謡の“赤いサラファン”は日本でも歌われることがあるため、そのメロディを懐かしく感じる方もいるかも知れません。
このロシア民謡の原題を正確に言えば、”赤く美しいロシアの民族衣装 サラファン”。
バイオリンが奏でるメロディラインはロシアの街並みや異国情緒豊かな文化を想像させることから、 “Souvenir de Moscow モスクワの想い出”というタイトルの方がしっくりきます。
第一次世界大戦より8年も前の平和な時代、1906年にウクライナのキーウ出身のバイオリン奏者、ミシャ エルマンが奏でた “Souvenir de Moscow モスクワの想い出”。
100年以上もの時を経て、天国のミシャ エルマンからのメッセージを考えずにはいられません。ゼンマイの音から当時を想像しながら、時代を超えた生の振動を感じてください。
モスクワの想い出 Souvenir de Moscow ... 蓄音機のレコードで
経緯
- 1835.7.10 ヘンリク ビエニャフスキが現ポーランドのルブリン (当時 ロシア帝国)で生まれる
- 1853 ヘンリク ビエニャフスキ: バイオリン幻想曲Souvenir de Moscow モスクワの想い出”を出版 (原曲ロシア民謡 “赤いサラファン”)
- 1880.3.31 ヘンリク ビエニャフスキがモスクワで逝去
- 1880.12.9 パーシー カーンがロンドンで生まれる
- 1891.1.20 ミシャ エルマンがウクライナ キーウ北側の村タルネで生まれる
- 1899.2.11 ヘレン カテンがカリフォルニアで生まれる
- 1902 エルマン: サンクトペテルブルグ音楽院
- 1904 エルマン: ベルリンでデビュー
- 1905 エルマン: ロンドンデビュー
- 1906.6.14 エルマン: ロンドンで初めての録音 “Souvenir de Moscow モスクワの想い出” (バイオリン ミシャ エルマン / ピアノ パーシー カーン)
- 1908 エルマン: カーネギーホールで米国デビュー
- 1911 エルマン: 米国に単身移住
- 1914.7.28 第一次世界大戦が勃発
- 1914.10 エルマン: 家族を米国に呼び寄せる
- 1917 ロシア革命
- 1923 エルマン: 米国の市民権を取得
- 1925.2.2 エルマン: ヘレン カテンとサンフランシスコで結婚
- 1966.5.2 パーシー カーンが英国ケント州マーゲイトで逝去
- 1967.4.5 ミシャ エルマンがニューヨークで逝去
- 1984 NHKみんなの歌 “赤いサラファン”を放送 (歌 研ナオコ)
- 1994.2.7 ヘレン エルマンがニューヨークで逝去