86年前の哀切 – 遊女に人気を博した浄瑠璃 “蘭蝶” 不倫相手への直談判
鶴賀 若狭掾のSPレコード
蘭蝶 此糸部屋の段 (浄瑠璃 新内節) - 時代を魅了した哀切に満ちた語り
三味線に合わせて物語を語り上げるのが浄瑠璃。
その中でも、恋愛模様を描き、女性の哀しい人生を歌い上げたことから遊郭や花街の女性に人気を博したのが新内節の浄瑠璃です。
江戸時代の安政2年、1772年頃に初代の鶴賀 若狭掾 (わかさのじょう)が作曲したのが “蘭蝶”。新内節の浄瑠璃を代表する演目になりました。
芸人の蘭蝶と愛人関係にあった新吉原 (浅草)の遊女 此糸 (このいと)。蘭蝶の妻 お宮が此糸に別れを直談判するものの、蘭蝶と此糸は結局ふたりで心中してしまうという物語です。
1917年に襲名した二代目 鶴賀 若狭掾が “蘭蝶”を録音したのが、1936年 (昭和11年)。
この物語の大事な場面、“蘭蝶 此糸部屋の段”。夫との愛人関係を続ける此糸の部屋をお宮が訪れて、別れるように諭す場面です。お宮の説得は此糸の心を揺らし、此糸は別れを決断するのですが…
その哀しげな三味線の響きと語り口に時代背景を思い描きながら、ゼンマイの音から生の振動を感じてください。
蘭蝶 - 此糸部屋の段 ... 蓄音機のレコードで
歌詞 - SPレコードの内容
縁でこそあれ 末かけて 約束かため 身をかため 世帯かためて 落ち着いて あぁ嬉しやと 思うたは ほんに一日 あらばこそ そりゃ誰ゆえじゃ こなさんゆえ 大事の男を そそのかし 夜昼となく 引きつけられ 商売ごとは うわの空 ひいきで 呼んでくださんす 馴染みの お客や茶屋衆も 来るたびごとに また留守かと 愛想つかされ のちのちは 呼んでくれても 内証の つもりつもって わが身を売って 渡したその金を またこなさんに 入り上げて 嬉しかろうか よかろうか 腹が立つやら 悔しいやら 喰いつきたいほど 思うたは 今日まで 日には幾度か おぉ道理じゃ 道理じゃが また わたしが身にも なってみて くだしゃんせいな 蘭蝶どのに 身を立てさせ 小商いでも 始めさせ 楽しみばかりに 恥も世間も かえりみず 身を沈めたる 深川竹の 憂き勤め
経緯
- 1717 初代 鶴賀若狭掾が越前鶴賀で生まれる (本名 高井庄兵衛)
- 1772 初代 鶴賀若狭掾が 浄瑠璃 “蘭蝶”を作曲
- 1786.4.20 初代 鶴賀若狭掾が逝去
- 1905.3.16 二代目 鶴賀若狭掾が東京の京橋で生まれる (本名 鈴木寿)
- 1917 二代目 鶴賀若狭掾を襲名
- 1936.3-4 二代目 鶴賀若狭掾が新内節の浄瑠璃 “蘭蝶 此糸部屋の段”を録音
- 1938.7.11三代目 鶴賀若狭掾が東京で生まれる (本名 高橋行道)
- 1969.3.5 二代目 鶴賀若狭掾が逝去
- 2000 三代目 鶴賀若狭掾を襲名
- 2001 三代目 鶴賀若狭掾が人間国宝に認定