109年前の称賛 - 天性の "カルメン" オペラと無声映画で魅せた美貌と表現力

ジェラルディン ファーラーのSPレコード

ビゼーのオペラ "カルメン" ... 蓄音機のレコードで

米国のソプラノ歌手、ジェラルディン ファーラーがグノーのオペラ “ファウスト”のマルグリット役で初舞台を踏んだのはベルリン国立歌劇場。1901年のことでした。

ベルリンで人気を博し、1906年11月26日には米国のメトロポリタン歌劇場でデビューして大好評を得ます。当時のニューヨーク タイムズ紙とニューヨーク トリビューン紙が、ファーラーの芸術性の高い天性のソプラノと愛らしい容姿を称賛しています。

メトロポリタン歌劇場のプリマとなったファーラーを有名にしたのは、映画 “カルメン”への映画女優としての主演でした。

ジョルジュ ビゼーのオペラとして既に人気を博していた “カルメン”。1915年10月31日から上映された、このファーラー主演の映画をきっかけにして、オペラ “カルメン”は数多くの映画の題材になりました。

また、翌日の1915年11月1日には、当時、米国のセックスシンボルとして人気があった舞台女優のセダ バラを主演として、ファーラーに対抗する映画 “カルメン”の上映が始まっています。

バラの愛称は “Vamp 魔性のバンパイア”。

オペラ歌手のファーラーが主演する映画との対比は、1916年2月に発刊されたモーションピクチャー マガジンで “カルメンのライバル: ファーラーかバラか”と特集される程の話題になりました。

まだサイレント映画の時代、ファーラーの映画はオーケストラの伴奏付きで上映され、映画音楽の先駆けと言われています。

オペラ歌手でありながら、映画女優として人気を博したジェラルディン ファーラー。その代名詞ともなった “カルメン”を、ゼンマイの音から当時の生の振動を感じてください。

ジプシーの歌 Chanson Bohême, Les tringles des sistres tintaient

カルメンに魅了されて身を滅ぼすドン ホセの物語。

カルメンを逃がし衛兵としての職務放棄で囚われたドン ホセ。第二幕はリヤス パスティア酒場にたむろするカルメンの歌から始まります。

ここは第一幕でカルメンがドン ホセを魅惑した歌に出てきた店。

妖艶に踊るカルメン。歌うのは “ジプシーの歌 Chanson Bohême, Les tringles des sistres tintaient”

1914年の初主演で美貌と表現力が称賛されてジェラルディン ファーラーの代名詞となったその歌声を、ゼンマイの音から当時の生の振動で感じてください。

オリジナルの和訳

シストラムの音 鳴り響く
メタリックに 煌めいて
エキゾチックな 音楽に
ジンガレーラの お出ましよ

タンバリンの音 連なって
いっそう ギターを かき鳴らす
奏でる手元は かたくなに
変わらぬ 旋律 変わらぬ メロディ

トゥラララララララ トゥラララララ

あかがね色や シルバーの リング
褐色の肌に 輝いて
オレンジ色と深紅の ストライプ
風に揺らめく コスチューム
踊りと歌の マリアージュ

初めは ためらいがちに 臆病に
次第に 鮮烈に 軽快に
昇って 昇って 昇りつめて

トゥラララララララ トゥラララララ

ジプシーたちは 腕の中
楽器を 激しく かき鳴らし
目もくらむような 大音量

ジンガーラに 魔法をかける
歌のリズム 情熱 狂気 熱狂
酔いに 委ねて 渦に 巻かれて

トゥラララララララ トゥラララララ

※ シストラム…古代エジプトの楽器。タンバリンの原型;ジンガレーラ…ジプシー娘;ジンガーラ…ジプシー女

いいえ愛してなんかいない - 向こうの 山の彼方へ Non tu m'aimes pas - Là-bas, là-bas dans la montagne

2か月後に釈放され、リヤス パスティア酒場にやってきたドン ホセ。ホセを置き去りにして逃げたカルメンが約束していた場所です。

しかしカルメンの心は既に闘牛士エスカミーヨのもの。求愛するホセを困らせて心をもてあそびます。

歌うのは “いいえ愛してなんかいない - 向こうの山の彼方まで Non tu m'aimes pas - Là-bas, là-bas dans la montagne”。

ジェラルディン ファーラーの妖艶な歌声で、当時を想像しながらゼンマイの音から生の振動をお楽しみください。

オリジナルの和訳

いいえ 私を愛してなんかいない

そう あなたは私を 愛してなんかいない
愛していると 言うのなら
そう 向こうの彼方へ ついてきて

そう 向こうの 山の彼方へと

向こうの彼方へ ついてきて
馬の背に乗り 連れてって
勇者のごとく 平原を 突っ切って
馬のお尻に わたしを乗せて
向こうの 山の彼方へと

向こうの彼方へ ついてきて
ついてきてよ 愛しているのなら

誰にも 頼る ことはなく
従うべき 将校なんて いやしない
撤収の合図も 鳴りはしない
別れを 恋人に 告げようとも

拓けた空 放浪の人生
故郷と言ったら 世界中
法律なんて あなた次第
ひときわ うっとり することは
自由よ 自由なの

向こうの 山の彼方へと

向こうの 彼方へ
愛して いるのなら

向こうの彼方へ ついてきて
馬の背に乗り 連れてって
勇者のごとく 平原を 突っ切って
そう わたしを乗せて
愛していると いうのなら

えぇ そうじゃない?
向こうの 彼方へ ついてきて
向こうの 彼方へ ついてきて
愛して そして ついてきて
向こうの 彼方へ 連れてって

経緯

  • 1881.8.12 セシル デミルが米国アシュフィールドで生まれる
  • 1882.2.28 ジェラルディン ファーラーが米国メルローズで生まれる
    • 1885.7.29 セダ バラが米国シンシナチで生まれる (本名 セオドシア ブール グッドマン)
  • 1901 ベルリン国立歌劇場 Staatsoper unter den Lindenでグノー “ファウスト”のマルグリット役でデビュー
  • 1901-1903 ベルリン国立歌劇場で人気を博し、トマ “ミニョン”等を主演
  • 1906.11.26 ニューヨーク メトロポリタン オペラ (MET)で米国デビュー (ロミオとジュリエット)。ニューヨーク タイムズ紙とニューヨーク トリビューン紙が芸術性の高い天性のソプラノと愛らしい容姿を称賛
  • 1906.12.31 ファウストにマルグリット役で出演 (METでの初演)
  • 1907.2.11 プッチーニの蝶々夫人を主演 (METでの初演)
  • 1908.3.6 ミニョンを主演 (MET)
  • 1908.12.3 カルメンにミカエラ役で出演 (MET, カルメン: マリア ゲイ)
  • 1910.2.25 ファウストから “宝石のアリア Air des bijoux”と “ツーレ王のバラード Il était un roi de Thulé”をニューヨークで録音
  • 1914.11.19 カルメンを初主演 (MET)。イブニングポスト紙が美貌と表現力を称賛
  • 1914.12.9 カルメンから 第一幕 “ハバネラ Habañera, L'amour est un oiseau rebelle”、第一幕 “セギディーリャSeguidilla”、 第二幕 “ジプシーの歌 Chanson Bohême, Les tringles des sistres tintaient”、第二幕 “山の彼方へ là-bas dans la montagne”をニューヨークで録音
  • 1915.5.24 “バラのごとくこの上なき Mighty lak' a rose”とオペラ “ミニョン”から “君よ知るや南の島 Connais-tu le pays?”をフリッツ クライスラーのバイオリン演奏と共に録音
  • 1915.10.31無声映画 “カルメン” (監督 セシル デミル)を主演。各紙が美貌と演技を称賛
    • 1915.11.1 無声映画 “カルメン” (監督 ラウル ウォルシュ)を舞台女優で当時のセックスシンボルのセダ バラが主演。バラの愛称は “Vamp 魔性のバンパイア”。
  • 1916.2 モーションピクチャー マガジンで特集: “カルメンのライバル: ファーラーかバラか”
  • 1916.2.4 ファーラー: 俳優のルー テルゲンと結婚
  • 1922 ファーラー: METで引退公演
  • 1923 ファーラー: テルゲンの浮気で離婚
    • 1926 バラ: 芸能界を引退
  • 1931.6.23 ファーラー: ラジオで初めて歌を披露 (NBC)
    • 1934 テルゲンが自殺
    • 1955.4.7 セダ バラが米国ロサンゼルスで逝去
    • 1959.1.21 セシル デミルが米国ハリウッドで逝去
  • 1960 音楽 (レコードのシンボル)と映画 (映画カメラのシンボル)の2部門でハリウッド ウォークオブフェームを受賞
  • 1967.3.11 ジェラルディン ファーラーが米国リッジフィールドで逝去

ジェラルディン ファーラーのSPレコード ... 蓄音機でもっと

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です