93年前の郷愁 - "美しく青きドナウ" 国々をつなぐ大河 時代に翻弄されたピアニスト
ヨゼフ レヴィーンのSPレコード
美しく青きドナウ ... ヨハン シュトラウス
ラフマニノフやスクリャービンといった早々たる音楽家と共に学び、凌駕する成績でモスクワ音楽院を卒業したヨゼフ レヴィーン。
順調に演奏活動を行っていましたが、ロシア革命や第一次世界大戦といった歴史の波に翻弄されます。
ユダヤ系ロシア人としてロシアを追われ、ベルリンに移住した後も不遇の時代を過ごします。ロシアに残した資産を失い、欧州での演奏活動もままならず、遂にはニューヨークのジュリアード音楽院でピアノ教育に従事しました。
そんな時代を経て、1928年5月28日に録音したのが、ヨハン シュトラウスのワルツ “美しく青きドナウ”です。この合唱曲は、元々は単に敗戦したオーストリアを鼓舞するだけの歌詞でしたが、作曲から23年が経った後になって、複数の国をつなぐように流れる壮大なドナウ川を象徴するような荘厳な歌詞に変更されました。
オーストリアの第二の国歌として愛されてきた曲、“美しく青きドナウ”。そして演奏するのは、愛する故国を追われ、時代に翻弄されたヨゼフ レヴィーン。
いくつもの国をつなぐように流れるドナウ川を象徴する曲を演奏しながら、いったいどんな歌詞を想い描いていたのでしょうか。
ゼンマイの音から生の振動を感じてください。
経緯
- 1825.10.25 ヨハン シュトラウス: ウィーン生まれ
- 1866 オーストリアがプロイセンとの戦争に敗戦
- 1867.2.15 ヨハン シュトラウス: “美しく青きドナウ”の合唱をウィーンで初演。ヨーゼフ ヴァイルが敗戦した母国を鼓舞した作詞。後から曲名が付けられた。
- 1874.12.13 ヨゼフ レヴィーン: モスクワ生まれ。ユダヤ系ロシア人
- 1888ヨゼフ レヴィーン: 公式デビュー
- 1890.7.2 フランツ フォン ゲルネルトが現行の歌詞に改訂し初演。国々をつなぐ荘厳な内容でハプスブルク帝国の第二の国歌に
- 1892 セルゲイ ラフマニノフ、アレクサンドル スクリャービンと共に首席でモスクワ音楽院を卒業
- 1898 ピアニストのロジーナ ベッシーと結婚
- 1899.6.3 ヨハン シュトラウス: ウィーンで逝去
- 1907 ロシアの反ユダヤ主義の影響でベルリンに移住
- 1917 ロシア革命でロシア銀行の資産を失う
- 1919 ニューヨークに移住。ジュリアード音楽院でピアノの教鞭
- 1928.5.28 ヨハン シュトラウスのワルツ “美しく青きドナウ”を録音
- 1944.12.2 ヨゼフ レヴィーン: ニューヨークで逝去
- 1945.4 オーストリアがドイツから独立。“美しく青きドナウ”が臨時国歌に