142年前の愛情 - ジプシー歌曲 "我が母の教え給いし歌" バスバリトンの染み入る響き

ポール ロブスンのSPレコード

ドボルザーク "ジプシー歌曲集 第4番" - 我が母の教え給いし歌

“我が母が教え給いし歌”は、アントニン ドボルザークが作曲したジプシー歌曲集 (全7曲)の第4番目の曲です。チェコの詩人、アドルフ ハイドゥークの詩集から選んで曲をつけました。

もともとチェコ語で書かれた詩でしたが、ベルリンで発表するためにハイドゥークが直々にドイツ語の歌詞に仕上げたようです。

しかし当時は、チェコ語で発表しないことにチェコ国民から批判を浴びて、急遽、チェコ語と英語でも発表することになります。

英語の歌詞はナタリア マクファーレンが作詞。ナタリア マクファーレンというのはペンネームで、本名はクラリナ タリア マクファーレン。イギリスに住むドイツ人の歌手で作曲家。ドイツ歌曲の英訳も手掛けていました。夫のジョージ マクファーレンも英国の有名な作曲家です。

ポール ロブスンの代表曲となった “我が母が教え給いし歌”。英語で歌われたことで、ドボルザークのジプシー歌曲7曲の中で最も有名な曲になりました。

ロブスンが歌うのは英語の歌ですが、チェコ語とドイツ語は歌詞のニュアンスが違います。

分かりやすくするためオリジナルで訳してみました。

チェコ版の原詩が描いた風景と、レコードが流れている様子を想像しながら、ゼンマイの音から当時の響きを感じてみてください。

我が母の教え給いし歌 Songs my mother taught me ... 蓄音機のレコードで

オリジナル和訳

英語版
母が教えてくれた歌 幾日 経ったとしても
まぶたにあふれた 母の涙は払えない
今では私が子供らに 教える 曲のひとつひとつ
いつも涙があふれ出す 想い出の 宝箱から
ドイツ語版
年老いた母が 教えてくれた歌
涙を まぶたにためて いつまでも
今では私が子供らに その歌を教えては
まぶたを濡らし 日焼けの頬に ほとばしる
チェコ語版
年老いた母が 教えてくれた歌
どうしてだろう いつも流れた 母の涙
今では私が涙を浮かべ 日焼けの頬を いじめている
ジプシーの子供らに この歌を 教えるたびに

経緯

  • 1813.3.2 ジョージ マクファーレンがロンドンで生まれる
  • 1826.12.14 クラリナ タリア アンドレ (ナタリア マクファーレン)がドイツのリューベックで生まれる
  • 1835.6.6 アドルフ ハイドゥークがプラハで生まれる
  • 1841.9.8 アントニン ドボルザークがプラハ近郊のネラホゼヴェスで生まれる
    • 1844.9.27 クラリナが英国の作曲家、ジョージ マクファーレンと結婚
    • 1860 ジョージ マクファーレンが病気で失明
  • 1878.12.15 ドボルザーク: ベルリン紙の “スラブ舞曲”を絶賛する記事で国際的な評価
  • 1880.1.18-2.28 ドボルザーク: ハイドゥークのチェコ語の詩 “我が母の教え給いし歌”を含む ”ジプシー歌曲集”を作曲
  • 1880 ベルリン誌からハイドゥークのドイツ語訳で “我が母の教え給いし歌”を発表 (後にチェコ語と英語でも発表)
    • 1887.10.31 ジョージ マクファーレンがロンドンで逝去
  • 1898.4.9 ポール ロブスンが米国プリンストンで生まれる
  • 1904.5.1 アントニン ドボルザークがプラハで逝去
  • 1916.4.9 クラリナ タリア マクファーレン (ナタリア マクファーレン)が英国ベイクウェルで逝去
  • 1923.2.6 アドルフ ハイドゥークがチェコの南ボヘミア地方ピセクで逝去
  • 1938 ポール ロブスン: 英国で “ツリーズ” “我が母の教え給いし歌”を録音
  • 1976.1.23 ポール ロブスンが米国フィラデルフィアで逝去

ポール ロブスンのSPレコード ... 蓄音機でもっと

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です