95年前の切なさと喜び - "スラブ舞曲 第10番"バイオリン編曲 録音50年前に運命をかえた曲

フリッツ クライスラーのSPレコード

ドボルザーク "スラブ舞曲 第10番”

アントニン ドボルザークが “スラブ舞曲”を作曲したのは1878年。同じ年の1878年12月15日にベルリンの新聞 が、この “スラブ舞曲”を絶賛して国際的な名声を得るきっかけになりました。

この時期、ドボルザークは心を激しく揺さぶられる出来事ばかりを経験していました。

1875年8月から1877年7月にかけて、幼い3人の子供を相次いで亡くします。一方で、1876年にはオーストリア政府の奨学金を得て、オルガン奏者の立場からようやく作曲家としての道が拓けます。

そして1878年6月に待望の4人目の子供が誕生し、1878年12月の "スラブ舞曲"での成功へと突き進んでいったのです。

クライスラーがドボルザークの “スラブ舞曲”をバイオリン演奏に編曲して録音したのは、1928年3月24日。ドボルザークが賞賛を得てからちょうど50年後のことでした。

クライスラーが奏でるバイオリンの独特で切ないメロディーを、生の振動でゼンマイの音からお楽しみください。

経緯

  • 1841.9.8 アントニン ドボルザークがプラハ近郊のネラホゼベスで生まれる
  • 1873 ドボルザーク: アンナ チェルマコバと結婚
  • 1875-1877 ドボルザーク:長女 (1875.8.21逝去, 生後2日)、長男 (1877.9.8逝去, 3歳)、次女 (1877.7.13逝去, 生後11か月)を続けて幼くして亡くす
  • 1876 ドボルザーク: 作曲でオーストリア政府の奨学金を授与。オルガン奏者から作曲家へ
  • 1878.6.6 ドボルザーク: 三女が生まれる (1905.7.5逝去)
  • 1878 ドボルザーク: スラブ舞曲 第1~8番 (第1集 作品46) を作曲
  • 1878.12.15 ベルリン紙の “スラブ舞曲”を絶賛する記事で国際的な評価
  • 1880-1888 ドボルザーク: 四女 (1923.9.10逝去)、五女 (1952.3.25逝去)、次男 アントニン ドボルザーク2世 (1956.6.20逝去)、三男 (1961.9.15逝去)、六女 (1967.4.28逝去)が生まれる
  • 1886.7 ドボルザーク: スラブ舞曲 第9~16番 (第2集 作品72) を作曲
  • 1904.5.1 ドボルザークがプラハで逝去
  • 1918.10 チェコスロバキアの独立
  • 1928.3.24 ニューヨークでクライスラーがドボルザークのスラブ舞曲 第10番 (第2集の第2番ホ短調)をバイオリンに編曲し録音

フリッツ クライスラーのSPレコード ... 蓄音機でもっと

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