112年前の情動 – ニューヨークでの舞台 “マノン” 人気スターの共演を写し取ったレコード
ジェラルディン ファーラー & エンリコ カルーソのSPレコード
ジュール マスネのオペラ “マノン Manon”
オペラ “マノン”の第一幕の終わりで駆け落ちしたデ グリューとマノン。そして第二幕は、パリのアパートで貧しくも幸せに暮らし始めた二人のやり取りから始まります。
デ グリューは、二人の関係を認めてもらうため父親に手紙を書いていました。そこへ現れたマノン。デ グリューが何を書いているのか、こっそり覗き見します。
そんな二人の微笑ましい場面。イタリアが生んだスターテナー、エンリコ カルーソが演じるのが、ヒロインの恋人 デ グリュー。そして、時代が生んだアイドル的なソプラノ、ジェラルディン ファーラーが演じるのが、ヒロインのマノン=レスコーです。
この時代に多くの舞台を共演した人気スターの二人が、オペラ “マノン" 第二幕の始まり、父親へ宛てた手紙をめぐって会話する場面を録音したのは、1912年のことでした。
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での二人の共演による “マノン”が披露されたのは、1912年3月から1914年12月までの13回。しかし、二人の “マノン”の舞台共演は、1914年のクリスマスイブが最後となりました。その後の舞台共演は主に ”カルメン”で、1919年の “トスカ”の記念公演を最後に、二人の共演は無くなりました。
というのも、1920年のクリスマスイブの公演の後、カルーソは突然の病に伏し、それが彼にとって最後の舞台となってしまったからです。
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で人気を博した二人の “マノン”。1913年1月の公演前の充実した時期、忙しい年の暮れの合間を縫って実現した貴重な録音。そんな奇跡の振動を、当時を想像しながら生の響きで感じてください。
マノンから “その子はマノン” Manon “On l’appelle Manon”
オペラ “マノン”の第一幕の終わりで駆け落ちしたデ グリューとマノン。そして第二幕は、パリのアパートで貧しくも幸せに暮らし始めた二人のやり取りから始まります。
デ グリューは、二人の関係を認めてもらうため父親に手紙を書いていました。そこへ現れたマノン。デ グリューが何を書いているのか、こっそり覗き見します。
そんな二人の微笑ましい場面。
衝動的に始まった幸せな生活は、そして二人の愛情は、これからどこに向かっていくのでしょうか。
オリジナルの和訳を添えて、その当時の振動を感じてください。
オリジナルの和訳
デ グリュー
マノン!
マノン
顔と顔が 触れるかと思った?
デ グリュー
失礼だよ マノン
マノン
そうね 肩越しに 読んだわ
私の名前があって 嬉しかった
デ グリュー
これは 父に宛てた手紙
書く手が 震える
心を込めて 書いているのに
怒らせては しまわないかと
マノン
怖いの?
デ グリュー
あぁ マノン
とても 怖い
マノン
いいわ 読みましょう
もう一度 一緒に
デ グリュー
あぁ そうだ
読もう 一緒に
マノン
その子は マノンと 申します
昨日で 16歳に なりました
全てが 魅惑的で 美しく
若々しくも 優雅
この上なく 心地よい 言葉使い
この上なく たおやかな 物腰
デ グリュー
この上なく たおやかな 物腰
マノン
本当なの? 私には 分からないけれど
でも 愛してくれて いるのね
デ グリュー
愛して いるかって?
愛して いるかって?
マノン 心から 愛しているとも!
マノン
まぁ 旦那様
さぁ 続きを 読みましょう!
デ グリュー
小鳥の如く
あらゆる処に 春を呼び
若き情熱を 人生に
若き情熱を 休みなく 解き放ち
唇は 花びらの如き
微笑み 語りかけ
馨しきそよ風が 戯れ 過ぎ行く
マノン
馨しきそよ風が 戯れ 過ぎ行く
経緯
- 1731 アベ プレヴォーの小説 “ある貴族の回想録 L'histoire du chevalier des Grieux et de Manon Lescaut”を出版。オペラ “マノン Manon”と“マノン レスコー”の原作
- 1873.2.25 エンリコ カルーソがナポリで生まれる
- 1882.2.28 ジェラルディン ファーラーが米国メルローズで生まれる
- 1884.1.19 ジュール マスネの “マノン”がパリのオペラ-コミックで初演 (フランス語)。世界的な大好評を得る
- 1893.2.1 ジャコモ プッチーニのマノン レスコーがトリノ王立歌劇場で初演 (イタリア語)。プッチーニの名声を形づけた一歩。
- 1895.1.16 ニューヨーク メトロポリタンオペラでの “マノン”の初演
- 1907.2.11 プッチーニの蝶々夫人を主演 (METでの初演)。テナー: エンリコ カルーソ。ファーラーは、以降、METでの引退公演までの15年間で139回も出演。
- 1908.3.10 ファーラーとカルーソがニューヨークで、蝶々夫人から “O quant’occhi fisi”を二重唱で録音
- 1912.3.30 カルーソとファーラーがMETで “マノン”を初共演。公演数: 1912年3回。1913年6回。1914年4回。
- 1912.9 レオ スレザークがベルリンで、マノンから “消え去れ、甘い面影よ Ah! Fuyez, douce image”、及び道化師 Der Bajazzoから “さぁ演じてみよ! Jetzt spielen !”を録音
- 1912.12.30 ファーラーとカルーソがニューヨークで、マノンから “その子はマノン On l’appelle Manon”を二重唱で録音
- 1914.12.24 カルーソとファーラーがMETで “マノン”を共演。最後の “マノン”共演。
- 1915.1.29 カルーソ: METで “マノン”を公演 (デ グリュー役; マノン役はフランシーズ アルダ)
- 1916.2.1 カルーソ: METツアーで “マノン”を公演 (ブルックリン音楽アカデミー; デ グリュー役; マノン役はアルダ)
- 1919.4.14 カルーソとファーラーがMETで “カルメン”を公演。最後の “カルメン”共演
- 1919.11.17 カルーソとファーラーがMETで “トスカ”を公演。最後の共演
- 1920.12.24 カルーソ: METで “ユダヤの女 La Juive”を公演。最期の公演
- 1921.8.2 エンリコ カルーソがナポリで逝去
- 1922.4.15 ファーラー: METで “マノン”を公演 (マノン役; デ グリュー役はマリオ チャムリー)。METでの最後のマノン役。
- 1922.4.17 ファーラー: METで “カルメン”を公演 (カルメン役; ドン ホセ役はオービ ハロルド)。METでの最後のカルメン役。
- 1922.4.22 ファーラー: METで引退公演 (レオンカヴァッロの “ザザ Zaza”)
- 1946 METが蝶々夫人の公演を再開。ファーラー引退後で初。
- 1967.3.11 ジェラルディン ファーラーが米国リッジフィールドで逝去
ジェラルディン ファーラーのSPレコード ... 蓄音機でもっと
- 愛の二重唱 Quant’occhi fisi - 蝶々夫人
- ツーレの王 Il était un roi de Thulé - ファウスト
- 宝石のアリア Air des bijoux - ファウスト
- 窓が開きます Elle ouvre sa fenêtre - ファウスト
- 気を付けて! さもなくば破滅です Alerte! Ou vous êtes perdus - ファウスト
- セギディーヤ Seguidilla - カルメン
- ジプシーの歌 Chanson Bohême, Les tringles des sistres tintaient - カルメン
- 山の彼方へ Là-bas dans la montagne - カルメン
- バラのごとくかけがえのない Mighty lak' a rose
- この国をご存じですか Connais tu le pays? - ミニョン
- その子はマノン On l'appelle Manon - マノン


