120年前の伝説 - "愛の二重唱” オペラ "蝶々夫人" 奇跡のニューヨーク初演を再現

ジェラルディン ファーラー & エンリコ カルーソのSPレコード

プッチーニのオペラ ”蝶々夫人 Madama Butterfly”

蝶々夫人 Madama Butterflyの第一幕を締めくくる “愛の二重唱”。蝶々夫人とアメリカ将校のピンカートンが、お互いの愛を確かめる場面です。

唄うのはジェラルディン ファーラーエンリコ カルーソ。1907年2月11日に、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での初演を務めた二人による録音です。

この初演でファーラーがヒロインを演じる蝶々夫人は好評を博し、1922年に引退するまでの15年間で、メトロポリタン歌劇場での139回ものヒロイン役を務めました。ファーラーの引退後、メトロポリタン歌劇場での蝶々夫人の公演は行われず、再開したのはファーラーが引退してから24年も経った1946年のことでした。

実は、このメトロポリタン歌劇場でのファーラーカルーソの初演までに、プッチーニは2度も脚本の改編を行っています。1904年2月17日に披露したスカラ座での初演が悪評に終わったことが原因で、メトロポリタン歌劇場での初演の脚本は第三編となりました。そして、その同じ年の第五編に至って、ようやく完成したのです。

1908年3月10日、15年ものロングランとなったメトロポリタン歌劇場での初舞台を象徴する二人。そんな伝説の二人が蓄音機レコードに録音した “愛の二重唱”。

美しい蝶々のような娘を抱き寄せるピンカートン。ピンカートンを信じて満天の星空に幸せを重ねるヒロイン、蝶々さん。第一幕の終わりに、二人のつかの間の幸せを歌い上げる場面です。

オリジナルの和訳を添えて、ゼンマイの音から当時の振動を感じてください。

蝶々夫人 第一幕 愛の二重唱から”少しばかり本当のこと – なんてたくさんのまなざし” Madama Butterfly, Act 1 “Un po'di vero c'è - O quanti occhi fisi”

ピンカートン将校から求婚された蝶々さん。ピンカートンを信じ、結婚を心に決めてキリスト教に改宗するのですが、それが原因で親戚にも見捨てられてしまいます。綺麗な星空の夜、そんな蝶々さんを慰めて抱き寄せるピンカートン。

この曲は、”愛の二重唱”の後半。アメリカでは蝶を捕まえて標本にする習慣があるという話からつながっています。

果たして、ピンカートンの想いは純粋な愛情なのか。そして蝶々さんは幸せになれるのか。第一幕の最後、二人の物語はこの二重唱から動き出し、第二幕へと続くのです。

オリジナルの和訳を添えて、ゼンマイの音から当時の振動を感じてください。

オリジナルの和訳

ピンカートン
少しばかり 本当のこと
どうしてだか 分かるかい?
もう 逃がさないため

僕は 君を 捕まえた
震える君を 抱きしめる
君は 僕のもの
蝶々さん
えぇ いつまでも
ピンカートン
おいで おいで
心の痛みを 解き放とう
不安や 苦悩も

穏やかな夜だ
見てごらん
何もかもが 眠っている
蝶々さん
あぁ 素敵な夜
ピンカートン
おいで おいで
蝶々さん
なんて たくさんの星
見たことが ないほどに
なんて 美しいの
ピンカートン
穏やかな夜だ
おいで おいで
見てごらん
何もかもが 眠っている
蝶々さん
素敵な夜 たくさんの星
ピンカートン
おいで おいで
蝶々さん
見たことが ないほどに
なんて 美しいの
ピンカートン
おいで おいで
蝶々さん
揺らいで 輝いて
きらめくたびに
ピンカートン
おいで 君は 僕のもの
蝶々さん
なんて たくさんの 瞳の輝き
あぁ なんて たくさんの目が
見つめて 注目しているの
あちらこちらで 眺めている
星空から 海岸から 海から
ピンカートン
キューピッドの 愛と共に
君の心の 不安を解いて
震える君を 抱きしめる
君は 僕のもの

あぁ おいで おいで
君は 僕のもの

おいで 見てごらん
何もかもが 眠っている

震える君を 抱きしめる
あぁ おいで
蝶々さん
あぁ なんて たくさんの目が
見つめて 注目しているの
なんて たくさんの まなざし
お空が微笑み かけてくる

あぁ 素敵な夜
すべての 愛の高まりに
お空が微笑み かけてくる
ピンカートン
見てごらん
何もかもが 眠っている

あぁ おいで
あぁ おいで おいで
あぁ おいで あぁ おいで
君は 僕のもの

経緯 ...ジェラルディン ファーラー

  • 1881.8.12 セシル デミルが米国アシュフィールドで生まれる
  • 1882.2.28 ジェラルディン ファーラーが米国メルローズで生まれる
    • 1885.7.29 セダ バラが米国シンシナチで生まれる (本名 セオドシア ブール グッドマン)
  • 1901 ベルリン国立歌劇場 Staatsoper unter den Lindenでグノー “ファウスト”のマルグリット役でデビュー
  • 1901-1903 ベルリン国立歌劇場で人気を博し、トマ “ミニョン”等を主演
    • 1903.2.26 プッチーニ: 自動車事故で重傷 (エルビラと婚外子のアントニオは軽傷)。蝶々夫人の制作が遅延。
    • 1904.1.3 プッチーニ: エルビラ ゲミニャーニと挙式
    • 1904.2.17 プッチーニのオペラ “蝶々夫人 Madama Butterfly”がミラノのスカラ座で初演。リハーサル不足で不評。
    • 1904.5.28 オペラ “蝶々夫人”を改編 (第二幕を分割)し、ブレシアのグランデ劇場で披露。
    • 1906.10-11 “蝶々夫人”を米国公演。プッチーニが再び改編 (第三編)。
  • 1906.11.26 ファーラー: ニューヨーク メトロポリタン オペラ (MET)で米国デビュー (ロミオとジュリエット)。ニューヨーク タイムズ紙とニューヨーク トリビューン紙が芸術性の高い天性のソプラノと愛らしい容姿を称賛
  • 1906.12.31 ファウストにマルグリット役で出演 (METでの初演)
  • 1907.2.11 ファーラー: プッチーニの蝶々夫人を主演 (METでの初演。第三編)。テナー: エンリコ カルーソ。大好評を博し、ファーラーはMETでの引退公演までの15年間で139回も出演。
  • 1908.3.6 ミニョンを主演 (MET)
  • 1908.3.10 ファーラーカルーソがニューヨークで、蝶々夫人から “O quant’occhi fisi”を二重唱で録音
  • 1908.12.3 カルメンにミカエラ役で出演 (MET, カルメン: マリア ゲイ)
  • 1910.2.25 ファウストから “宝石のアリア Air des bijoux”と “トゥーレ王のバラード Il était un roi de Thulé”をニューヨークで録音
  • 1912.12.30 ファーラーカルーソが、マノンから “On l’appelle, Manon”を二重唱で録音
  • 1914.11.19 カルメンを初主演 (MET)。イブニングポスト紙が美貌と表現力を称賛
  • 1914.12.9 カルメンから 第一幕 2 “ハバネラ Habañera, L'amour est un oiseau rebelle”、第一幕3 “セギディーリャSeguidille”、 第二幕1 “ジプシーの歌 Chanson Bohême, Les tringles des sistres tintaient”、第二幕3 “山の彼方へ(向こうの山奥へ) là-bas dans la montagne”をニューヨークで録音
  • 1915.5.24 “バラのごとくこの上なき Mighty lak' a rose”とオペラ “ミニョン”から “君よ知るや南の島 Connais-tu le pays?”をフリッツ クライスラーのバイオリン演奏と共に録音
  • 1915.10.31無声映画 “カルメン” (監督 セシル デミル)を主演。各紙が美貌と演技を称賛
    • 1915.11.1 無声映画 “カルメン” (監督 ラウル ウォルシュ)を舞台女優で当時のセックスシンボルのセダ バラが主演。バラの愛称は “Vamp 魔性のバンパイア”。
  • 1916.2 モーションピクチャー マガジンで特集: “カルメンのライバル: ファーラーかバラか”
  • 1916.2.4 ファーラー: 俳優のルー テルゲンと結婚
  • 1922.4.22 ファーラー: METで引退公演
  • 1923 ファーラー: テルゲンの浮気で離婚
    • 1924.11.29 ジャコモ プッチーニがブリュッセルで逝去
    • 1926 バラ: 芸能界を引退
  • 1931.6.23 ファーラー: ラジオで初めて歌を披露 (NBC)
    • 1934 テルゲンが自殺
  • 1946 METが蝶々夫人の公演を再開。ファーラー引退後で初。
    • 1955.4.7 セダ バラが米国ロサンゼルスで逝去
    • 1959.1.21 セシル デミルが米国ハリウッドで逝去
  • 1960 音楽 (レコードのシンボル)と映画 (映画カメラのシンボル)の2部門でハリウッド ウォークオブフェームを受賞
  • 1967.3.11 ジェラルディン ファーラーが米国リッジフィールドで逝去

経緯 ...エンリコ カルーソ

  • 1858.12.22 ジャコモ プッチーニ: 伊トスカーナ地方のルッカで生まれる
  • 1873.2.25 エンリコ カルーソがナポリで生まれる
    • 1866.7.23 フランチェスコ チレア: 伊パルミで生まれる
  • 1895.3.15 ナポリのヌオボ劇場でデビュー
  • 1897.11.27 ミラノのリリコ劇場でチレアのオペラ “アルルの女”を初演。フェデリコ役。
    • 1900.1.14. プッチーニ: ローマのコンスタンツィ劇場で “トスカ”の初演 (テノール: エミーリオ デ マルキ)
  • 1900.10.23 伊トレビゾでプッチーニのオペラ “トスカ”のカバラドッシ役。初演したマルキに優る評価。
  • 1902.4.11 エンリコ カルーソ: オペラ “トスカ”, ”ゲルマニア”, ”ラ ジョコンダ”, “メフィストフェーレ”を録音
  • 1902.11.30 エンリコ カルーソ: オペラ “道化師”, “カバレリア ルスティカーナ”, “ラ ジョコンダ”, “君なんかもう愛していない”, “フェドーラ”, “メフィストフェーレ”を録音
  • 1902.12.1 エンリコ カルーソ: オペラ “我が歌”を録音
  • 1903 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でデビュー
    • 1903.2.26 プッチーニ: 自動車事故で重傷 (エルビラと婚外子のアントニオは軽傷)。蝶々夫人の制作が遅延。
    • 1904.1.3 プッチーニ: エルビラ ゲミニャーニと挙式
  • 1907.2.11 カルーソ: プッチーニの蝶々夫人のピンカートン役で主演 (METでの初演)。蝶々夫人: ジェラルディン ファーラー。大好評を博し、ファーラーはMETでの引退公演までの15年間で139回も出演。
  • 1907.3.17 プッチーニのオペラ (ラ ボエームのロドルフォ役 “もうミミは帰らない Ah Mimi, tu piu”)をアントニオ スコッティと共にニューヨークで録音
  • 1908.3.10 ファーラーカルーソがニューヨークで、蝶々夫人から “O quant’occhi fisi”を二重唱で録音
  • 1909.11.06プッチーニのオペラ (トスカのカバラドッシ役 “星は光りぬ” “妙なる調和”)を録音
  • 1912.12.30 ファーラーとカルーソが、マノンから “On l’appelle, Manon”を二重唱で録音
  • 1918.8.20 ドロシー ベンジャミンと結婚
  • 1920.10.21 ブルックリン アカデミー オブ ミュージックで公演中に喀血し公演中止
  • 1921.8.2 エンリコ カルーソがナポリで逝去
    • 1922.4.22 ファーラー: METで引退公演
    • 1924.11.29 ジャコモ プッチーニ: ベルギーのブリュッセルで逝去
    • 1926 プッチーニ: “トゥーランドット”の初演 (テノール: ミゲル フレータ)
    • 1946 METが蝶々夫人の公演を再開。ファーラー引退後で初。

ジェラルディン ファーラーのSPレコード ... 蓄音機でもっと

エンリコ カルーソのSPレコード ... 蓄音機でもっと

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です